菓祖??

お客様

爽やかな五月晴れの中、豊岡市の郊外で食品会社の工場の地鎮祭がありました。敷地は高台にあり見渡せば田植えが終わった田ばかりでその眺めも涼しげでした。

お見えになった宮司さんにご挨拶致しました。

頂いた名刺には「菓祖 中嶋神社」と書いてありました。

「菓祖???」と思いお尋ねしますと

「お菓子の神様が祭ってあります。」と磊落にお答えいただきました。

鞄の中から「お菓子の神様のお話 ”田道間守”(たじまもり)物語」

という冊子を頂きました。

1,300年の推古天皇の時代に田道間守(お菓子の神様)を子孫の中嶋公が祀られたそうです。

近年中嶋神社は全国の菓子業者さんの信仰を集め、各地に分社も出来、毎年4月には盛大な菓子祭りが行われているそうです。

今回の工場も施主様がお菓子の原料をお作りになられる目的で建てられます。

妙に納得致しました。

今回、初めてご縁を頂いた施主様のご期待に応えれるように全力で取り組みたいと思います。そう・・「お菓子の神様」のご加護も受けながら・・。

お菓子の神様

     汗ばめる 母美しき 五月来ぬ    中村汀女

天然塩

お客様

かずら橋
 去る11日から1泊で四国の祖谷渓谷・金比羅宮に恒例のユーミーマンション施主会旅行で行ってきました。バスが道を間違えて千尋の谷の上を手に汗を握りながら走ったり、囲炉裏端で山の幸の宴会と趣のある旅でした。峠を登っている途中、道端には残雪がみられ山深い秘境でした。

 バスの車中、Iさんが

「社長・・、あの塩ききましたわ・・。社長に言われて天然塩を畑に撒いたら、大根がビックリするほど勢いよく出来ました。知人から『絶対なんかまいたやろ。』といわれました。今は全部の畑に撒いて、出来の悪い田んぼにもまきました・・・。」

 夏にIさん宅を訪問したときに、沢山の野菜をもらいました。会社の畑に天然塩を撒いてみたら勢いよく野菜が出来た話をしました。丁度、新聞の夕刊に発明家の方の話が載っておりそんな内容でした。お節介にも後日新聞記事を届けた事があります。

 専売公社で売っているオーストラリア産の深層水から作った塩で20kgで千数百円と安価です。1反に20kgを目安に撒くそうです。連作ですと土(落ち葉が堆積して土が出来る)にミネラル分が不足するため天然塩のミネラル分で補うそうです。

「以前読んだ事があります。高波で海水をかぶった畑の作物が全部枯れたのに、唯一葱(ネギ)だけが勢いよく出来たらしいです・・。」

 帰郷后、車中で同じ話を聞かれた別の施主様が
「新聞記事を分けてほしい・・。」と会社に見えられました。

 恐るべし・・・天然塩!!  

金比羅宮

   
    野に出でよ 見わたすかぎり 春の風    辻貨物船

      

 

麗しき

お客様

M邸
先日○○様のお宅の引き渡し式がありました。皆で待っておりますと、ご夫婦別々の車で荷物を満載して到着されました。

「ちょとでも運んでおこうと思って・・。」とニコニコとお笑いになりました。

ご挨拶の中で「・・昨夜は遠足前の子供みたいに寝つけませんでした・・。・・大変満足しております。」

とても有り難いお言葉でした。又、着工から「面白い家」というテーマでとても完成を楽しみにして頂き、担当者にとっても思い出深い現場となりました。

リフォームのお客様から手紙が届きました。

「・・どんな細かいことでも気持ちよく対応して頂いて・・・。配水管のつまりも太っ腹でただで対応して頂いて・・。米田組さんが発展するのは・・間違いないですね。」

心温まるお便りでした。

(写真:左から3軒は全て弊社施工)

知事表彰

お客様

 昨日、京都のルビノ堀川にて「雇用促進改善事業所」の京都府知事表彰の栄に浴しました。京都府下で2社と言うことでした。

車中、「略礼服の方が良かったかな~?」と思いながら少々緊張して、向かいました。

知事代理であられる京都府の労働部長様から表彰状を頂きました。その後日本サッカー協会の副理事長の釜本邦茂氏(メキシコオリンピック銅メダル・得点王)の講演がありました。

前日に地元誌の夕刊に掲載されたため、反響が多く、お客様や知人からお祝いの電話を頂いたり、社員がお客様先や思わぬところで「おめでとう。」とお祝いの言葉をかけて頂きました。

本当に有り難うございました。

なにわともあれ、無事会社を継続させて頂き、また思いがけず褒めて頂くとはとても有り難いことです。多くのお客様のお陰と社員の努力の賜と思います。

また、余談ですが、帰りに頂いた日本サッカー協会のカレンダーも有り難かったです!

多謝。

秋深し。

お客様, 歴史

紅葉

 過日、晩秋の○○町の奥のお客様に竣工のご挨拶に上がした。スキ-場の前にあるお宅はの廻りは秋色濃く、まもなく冬を迎えようとしておりました。

 大きな大きな古いお宅で2回目の訪問でご主人にお目にかかれました。80歳過ぎの温和な方で、終始笑みを絶やさずお話をしていただきました。

『・・・お父さん(米田組先代)を知っております。○○町の助役に10年ほど出てました。・・昭和47年ごろやったと思いますが・・福知山高校の○○分校の造成工事があり、町内の業者さんでは大きな土木機械がないために声をかけて町内業者さんの下で先代にやっていただきました。

・・みての通り築后90年になる家ですので手を入れることがちょくちょくあります。
いつもはふすまの張替えなど町内の業者さんでお世話になるのですが・・今回は大きな仕事なので米田組さんに声をかけました。

・・百姓は「配り百姓」で迷惑がられながらも・・(笑)作っては配ってます。足がちょっと悪いですが・・福知山には剣道をやってますのでたまに練習に行きます。』

帰って会社の工事経歴を見ますとくだんのお話通り当時としては大きな金額で工事を請け負っていました。後日叔父に会いましたので話をしますと「岩が堅く発破を打ちながらの作業」だったそうです。

仕事の中で先代と今の若い職員の仕事が繋がっているととても嬉しく思いました。

    門を出(いで)て 故人に逢ひぬ 秋の暮     蕪村