利賀村

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利賀村の1泊した民宿へのアプローチの橋

9月の未だ暑い頃に富山県の山奥の利賀村(南砺市利賀芸術公園)に演劇を見に行ってきました。富山市から南に1時間数十分山中に入ったところにあります。車同士の離合も道幅が狭い為注意を要します。更に1時間ほど南に向かうと合掌造りで有名な白川郷、五箇山になります。南砺市は弊社の名古屋支店の技術者M君の出身地でもあります。

世界的な演出家水野忠志氏率いるSCOT SUMMER SEASON 2025でした。利賀村に着きますと野外劇場はじめ様々な劇場施設が忽然と山中に現れます。世界中から演劇人が集まる「芸術の聖地」と呼ばれているそうです。

・・・丁度少し前から水野和夫氏(法政大学法学部教授現代日本経済論)の本を読んでいました。

「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」の「終わりに」と題する後書きに著者が鈴木忠志氏率いるSCOT(Suzuki Company of Toga)の演劇をみて衝撃を受けこの本を数年かかりで上梓した旨が書かれてありました。

・・・本書は、思想家鈴木忠志の演出する「世界の果てからこんにちは」(以下、果てこん)を経済学的に翻訳するとどうなるだろうかという視点で書いた。SCOT SUMMER SEASON(富山県南砺市利賀芸術公園)で初めて「果てこん」をみた時の衝撃は今でも忘れることができない。どう理解したらいいのかまったくわからず、頭の中が大混乱した・・(「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」水野和夫著から引用)

少し前になりますが日本経済新聞の「私の履歴書」で昨年の9月に演出家鈴木忠志氏が1ヶ月間連載されていました。1966年に劇団「早稲田小劇場」からはじまり岩波ホール演劇監督、1976年に突如富山県利賀村に活動の拠点を移し冬期は積雪3m〜6mになる地で合掌造りの家屋を改造した利賀山房など6つの劇場を利賀村、富山県の協力を得ながら作り上げ、世界に発信、世界の演劇人から注目を集めました。世界的な演出家となりこれまでに海外公演を33カ国88都市で公演を行なっています。鈴木氏が考案した俳優の訓練方法「スズキ・トレーニング・メソッド」は現代演劇の主要な訓練法としてモスクワ芸術座、ジュリアード音楽学院(ニューヨーク)、中国国立中央戲劇学院(北京)など世界各地の劇団や教育機関で体系化され取り入れられています。鈴木氏の「スズキ・トレーニング・メソッド」は若き頃の能の大家観世寿夫との共同と海外公演での見聞、幼少の頃同居した祖父の義太夫語り「竹本綱寿太夫」の大音声の訓練、井戸の水汲みでつちかった腰の入れ方、一日百本やらされた薪割りで覚えた鉈の振り下ろし方とそのブレーキの力、鈴木氏の中に眠っていた古いニッポンの身体感覚を呼び覚まされることから開発されました・・非常に興味深く読み進めました。
 
水野和夫氏の著作も非常に興味深く①1990年代後半より日本の実質賃金が上がっていない。人件費の変動費化。②利子率が世界に先駆けて0%となり資本主義の「蒐集」の歴史が終焉を迎えている。③現代は実質経済で「蒐集」は難しく、米国はIT等サイバー空間に「蒐集」を広げようとしている。④日本は米国の「蒐集」のシステムに組み込まれている。

前述の水野氏の「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」の「終わりに」を読んで、頭の中で水野氏と鈴木氏がつながりました。「・・・たしか利賀村で毎年サマーフェスのようなものがあったはず?」と思い調べました。最後の1週に間に合うことが判り、予約可能な4ステージを予約しました。

・・・多分まったく理解できないのでゃないかと危惧しましたが、野外劇場の要所要所の打ち上げ花火の迫力や「ニッポンジン」と何度も問いかける主題、敗戦から現代の米国の「蒐集」システムに組み込まれた日本の在り方への問い、演劇中に盛り込まれる日本の歌謡曲「夜の訪問者 小川順子」「海ゆかば 伊藤久雄」「恋の十字路 歐陽菲菲」「船頭小唄 美空ひばり」等胸に迫るものがあり、考えさせられるものがありました。鈴木氏は「ニッポンジンとは何か?」との「問い」を発していると感じました。

「果てこん」の劇中には院長の科白があります。「私は数え年二十九の時、一人でシンガポールの渚に立った。そして突然なんとも知れん懐かしさの情緒に襲われた。私はこの時以来日本民族と云うものの、現実を超えた実在を信じている」「ニッポン民族の起源は三十万年前くらいであって、その中核は神々であって、これは他の星から来たと思っている。日本民族は中核の人たちが一般の人達を向上させようとする菩薩道である」「終戦後天照大御神はふたたび天の岩戸にお隠れになった。だから日本の天地には愴然として真の喜びがないのである。私達は大御神に再び岩戸から出て頂く為、身命を抛げうって働かなければならない。」と数学者岡潔の言葉が引用されています。

劇の最後は院長の息子が一枚の新聞を持ってきて

「日本はお亡くなりに」

と告げて終了しました。

終了後著名人が沢山来ておられその方達と鏡割りがあり枡酒が観客に振舞われました。
 
最終日鈴木忠志氏のトークショーがあり、座談の名手でありとっても楽しめました。鈴木氏の座談の中で富山県の中学生の見学で学校から感想文が送られてきたそうです。感想文の中の学校の先生の問いで「演劇をみて『Well-being』を感じた事を書きなさい」との問いがあったそうです。鈴木氏のコメントは「Well-beingを感じてる人は演劇なんかやんないよ。不幸だからやるんだよw」と答えておられました。その後東京から来られた演劇をやっている元気な女性が質問してコメントをもらうと「私もWell -beingを感じました❗️」と上手に返しておられましたw

山形へ

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今週山形の親しい友人に会いに2日間行ってまいりました。

7年ぶりの訪問になりました。

以前は家内も連れて行き奥様と天童温泉で食事をさせて頂いたことがあります。この時は厳冬期で山形空港の前で迎えにこられた彼と一緒にツルツルの道路でスッテンコロリン転んだことを覚えています。

同業の縁で親しくなりました。

2000年の介護保険の始まりより老人施設を沢山運営されるようになり、現在は国内で23施設、台湾で2施設を運営されています。従業員は国内で約700名、台湾で100名余りおられます。仙台では医師も雇用されており在宅医療もやっておられます。

・・・介護保険制度の始まる少し前に大学ノートにびっしり書かれた介護事業の事業計画を今は無くなった九段下のホテルグランドパレスの喫茶室で本当に楽しそうに話されていたのを思い出します。
  
  


  
  
お昼に何時も連れて行って頂く蔵王スキー場に上がる道路から入ったところにある蕎麦屋さんに行きました。

年に何回か電話で話しますが、久方ぶりにお目にかかるためにお仕事のお話などを随分して頂きました。台湾でももう2施設も話が進んでおり現地の成功された事業家が社会貢献の為にパートナーになられるそうです。全くご縁のない国でそうした方々と組んでやられるのは彼の人柄、信用のような気がします。ベトナムでもかれこれ10年余り準備をされてきておられます。

翌日は彼のご自宅に招いて頂いて奥様から丁重にもてなして頂きました。
 
  

 
  
  
お昼は近所のレストランで三人で食事をしました。

介護業界も環境が変わってきているようですが、相変わらず彼はニコニコと笑顔を絶やさず、ストイックに精励されており、常に次の一手を準備されているように思いました。

彼に帰りがけに車中「久々に米田節を聞けてよかったよ・・w」と言われました。

「これは有料だよw」と返しておきました。

山形空港で握手をして別れました。
  
  
  

⭐︎2014年の水害の折に彼が送ってくれた尾花沢の西瓜と桃

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⭐︎2015年に弊社協力会で山形旅行を計画した折に彼に電話したら「何で俺に聞かんの?」と言われて「芋煮会」等々をアテンドして頂いた。

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台湾紀行

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6月には釜山、別府、台北と出掛ける事が多かったです。

下旬には社員旅行で台湾に出かけました。1班が1週間前に行き我々は2班で20数名で出かけました。コロナ禍もあった為に久方ぶりの海外でした。皆でずいぶんリラックスして愉しい旅になりました。
 


 

「千と千尋の神隠し」(スタジオ ジブリ)で有名な九份(Jiufen)やお隣の十分(Shifen)では願い事を墨で書いたランタンを飛ばしたりしました。ランタンの中で紙を燃やして飛ばします。十分から乗った在来線もエアコンがよく効いており車窓の山間の景色と共になかなか風情がありました。
 

心配したホテル「漢普頓酒店」もまずまずのグレードで安心しました。15年前に同じく会社で台北に行った時はとても老朽化したホテルで部屋のエアコンが「ガタガタ!」音をたてるような状態でした。。
 


 

初日の宴会も快調でとても愉しい夜になりました。KAVALANという台湾産の著名なウイスキーも美味でした。その後猛者は基隆(キールン。台湾北部の港湾都市)まで鈍行列車で出かけたり、夜市に出かけたりしました。
 


 

自由行動日は予め予約した新幹線に乗って台南まで行ってきました。1時間40分程度かかりました。新幹線は日本の東海道新幹線と一緒のN700系でほとんど変わりはありませんでした。この日は家内と二人試練の日※となりました😢高速鉄道台南駅(沙侖駅Shalun)と在来線の台南駅は別物で5駅離れていました。。自分たちのおかれた状況を把握するのにかなりの時間を要しました。
 


 

・・・台南駅ではレンタバイクも上手くスマートホンと連携出来ず暑い中歩いて観光となりました。その上ツーリストインフォメーションで説明してもらった地図も落としてしまいました😭ようやく汗を拭き拭き歩いて「度小月」(トーシャオユエ)と言う百年以上続く担仔麺(タンツーミエン)の店に入りました。店頭で店の主人と思しき人が黙々と麺を盛り付けておられました。美味しかったです。(・・・司馬遼太郎著「台南紀行」“街道をいく40”の中にこの店の名が出てくる。とても好きな本で今回改めて読み返しました。)
 


 

その後1930年代に日本人の手によって建設された林百貨店(とても可愛いお土産や小物売っている)に行ったり、かき氷を食べたり、台南市美術館(現代美術)一館・二館に行ったりしました。美術館はかなりよかったです。美術館へ行く途中、3機のジェット戦闘機がブルーインパルスの様に並んで低空で何回も通過しました。耳をつん裂く轟音と低空飛行に痺れましたw
 


 

帰りも台南駅から高速鉄道台南駅(沙侖駅)への列車のつもりが南へ一路下る列車で、途中で気がついて危うく‼️ホームに降りました。疲れ切ってほうほうの体で台北駅に帰ってきました。レストランに入る気力もなく駅の売店で豚の耳を炒めたものや煮込んだ揚げ、何故か雪見大福のようなものを買いました。思考力があまりなくふらふらと駅中に座って行う簡易なマッサージがあったのでしてもらい、ホテルに帰り台湾麦酒で乾杯🍻しました。ホテルに帰ると・・・達成感からなのか?何故か元気になりました。ホテル到着は2330頃でした。

翌朝会社の仲間にその話をしますと

「大学生みたいですね・・・🫢」

と笑われました。
 

※ 大抵海外で自分たちで自由行動すると一日一回は涙目😭になる。

梅雨

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梅雨の季節になり、雨模様の日が多くなってまいりました。
 


 

会社の敷地にある梅の木から梅を収穫し分けて貰った梅です。上はベビーコーン🌽の髭です。何にするんでしょうか?
 
 

某日雨の中海津市の現場に行きました。名神高速の養老ICから30分ほどで着きます。雨の中型枠工事が進んでいました。M君に特殊な杭工法の説明をしてもらいました。海津市は木曽川・長良川・揖斐川に囲まれた扇状地です。基礎補強がポイントになります。
 

翌日の写真
 

帰りはふと思い出し、北陸道の木之本ICで降りて下道でマキノ町、今津町を通り若狭道の小浜ICへ抜けました。雨に煙る湖北の幻想的な景色も少し見る事ができました。湖西道路も快適でした♪
 


 

 

翌日は同じく雨に中、寝屋川の金属加工会社の工場の現場に行きました。行ってみますと同じく型枠工事中で当日夜半に多量の雨が降った為にI君が合羽を着て作業員の方2名と雨が溜まり土砂が落ちた捨てコンの上の掃除をしていました。彼は京都府北部の別の現場を担当しており、急遽応援に来ている様子でした。彼に聞いてみますと

「(進捗状況の)写真で見ると昨夜の雨で状況が予測出来たので来ました。」との事でした。
 

イメージ写真
 

・・配慮の深さに感心しました。

その後豊中市の大型の危険物工場の現場によって帰路につきました。沢山の避雷針の銅線が地中に埋め込まれていました。
 
 

車の中で5年ほど前に加西市で大型の住設機器工場(リンク)を建てた時のことを思い出しました。20,000m2の敷地を取得され5,000m2の工場を建てさせていただきました。大型のプロジェクトであり、難易度も高く営業、設計、工務と粛々と工事を進めていきました。各々の担当者の仕事に向かうモラルの高さにつくづく感心させられました。私自身は只々見守るのみでした・・・。竣工近くには工場の事務室から外を眺めますとハラハラと山桜の花弁がそよ風に流されておりました。何とも美しい景色でした。
 

 

正月明けの恒例の「社員アンケート」に「やり甲斐・自慢できる事」の欄に「毎日意識してやっているのは、朝少し早く出社して玄関を開け、ポストをみる。お昼少し早く戻り玄関を開け営業準備をする」「苦手なことでもやり遂げる。『よしやってやるぞ!』と気持ちを切り替える。やっているうちに楽しくなる」「誰がやってもよい仕事を進んでやれる。誰かがやると決まっていなくて誰かがしないと進まない仕事を進んでやれる」と若い女性社員が書いていました。
 

各々真摯に仕事に向き合う仲間と仕事を出来ることに・・・感謝しかありません。

山笑ふ

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新緑の佳き季節となりました。

山も新緑が一気に繁りはじめ自然の営みの壮大さを感じます。

生前先代が私の妻に「◯◯さん、『この時期になったら山が笑いだすんやで・・』」と車中で言っていたことを思い出します。
 
 





 

社内のさまざまな植え込みも一度に咲き始めました。
 
 

 
 
 
・・連休前に少し困った事がありました。
 


 

自宅の屋根の下にひよのような鳥が巣を作り始めました。

慌てて掃除をしてネットを張りました。

数日後やはり隙間があったみたいで横の狭い隙間からせっせと巣作りを続行していました。
 
 


 

再度隙間を閉じるべくベランダに上がって片付けやら網の追加工事を始めましたら、つがいらしきひよ2匹が見守る中での作業となりました。
 


 

これは・・・流石にやりにくかったです。。
 

 
 
新年度になりまして、目まぐるしくお引き渡しやご契約・着工しています。
 

南山城村のお茶工場海津市(岐阜県)の工場神戸市の事務所兼倉庫
 

地鎮祭の前泊で岐阜羽島駅前に宿泊しました。
 

 

 

 
流石のN君は鋭く準備をしていました。苅初の儀(カリソメノギ)の草でした(神事で設計者が盛砂の上に草を挿したものを鎌で狩る所作をする)。以前に某町(愛知県)で地鎮祭をした折は前日に竹を切って持参し現場の横の小川に一晩つけていた事がありましたw

N君に「座布団1枚」ですね♪