春暁

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春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
       (春暁   孟浩然)

桃の節句を越えて春めいてまいりました。心なしか陽光も明るくなり縮こまっていた背筋も伸びる気分です。
 
 

 
 
先日、家内の誕生日🎂で子供達から順次花束などが届きました。北関東に居る次男からはびっくりするほど大きな花束が届きました。各々彼女はとても嬉しかったのではないかと思いました。

 
iPad miniのメモをのんびりと眺めておりました。以前読んだ本のメモみたいなものがあり読んでみますとそれなりに「う〜ん」と考えさせられます。


 
・・・ドラッガー「我が軌跡」知の巨人の秘められた交友  
                    P・Fドラッガー著 上田惇生訳

「ヘンリーおじさん、財務諸表見たでしょうに」「そんなもの見てもしょうがない。どうにでもなる。チエーンの連中と会ってきたよ。頭の良い人たちだった。でも、商品は、客のために買い付けているのではないようだった。店のために買い付けていた。間違いだよ。それじゃ客は来なくなるし、売り上げは落ちるし、利益も上がらなくなる」
私が思うに、世の中には、いつまでもバッタのように個別の問題に取り組んでいる人がいる。一般化することができずに、コンセプトを把握することができないでいる。科学者にもいるし、ビジネスマンにもいる。ところが優れたビジネスマンは優れた科学者や優れた芸術家と同じように、ヘンリーおじさんと同じ頭の動きをする。最も個別的、最も具体的なことから出発して一般化に達する。50年前の当時、人はまだあまりに経験思考だった。システム、原理、抽象化が必要とされていた。事実、私は当時数理論理学と出会って一種の開放感を味わったことを覚えている。
しかし、今では我々は、逆の意味で再びヘンリーおじさんを必要としてるに至っている。今日では、あまりに多くの人が、検証抜きの定量化、形式だけの純粋モデル、仮定による論理に傾斜し、現実から遊離した抽象の追求に耽溺している。
今日の我々は、西洋における体系的思考の原点とも言うべきプラトンの教えを忘れている。まさにプラトンの言うように、論理の裏付けのない経験はおしゃべりであって、経験の裏付けのない論理は屁理屈に過ぎないのである。 p225

彼は言った。「説明しなければならないようでは間違った提案です。誰もがこれだと言ってくれるような簡単なものではなければなりません」 p231

「私は、自分がその会社のお役に立てる時しか株を買うことはしないようにしているんです。お金儲けのためだけに頭を使うのは、かなり前に止めたんです。今は、何か良いことをしたときだけ、お金をいただくようにしています。」 p232

「しかし、企業を政治的機関とか、社会的機関として扱う本は、学者としての経歴上は、マイナスになるかもしれませんよ」
しかし、今日に至ってさえ、経済学者は、企業経済の観点からしか見ず、政治学者は、政府機関と政治プロセスにしか関心を寄せていない。そのような中で、私の著作を行った事は、マネジメントと言う、それまで知られてもいなければ、教えられたこともないものを、体系として確立することだった。そしてその後の30年以上にわたるマネジメント・ブームに火を点けることだった。もちろんこれはひとえに運によっていた。たまたま私が、他の人に先が出てそこに行ったと言うに過ぎなかった。
しかし「企業とは何か」は、マネジメントと言う体系における重要な項目、すなわち、組織構造、社会的責任、個と組織の関係、トップマネジメントの機能、意思決定プロセス、人材開発、労使関係、地域関係、顧客関係、さらに環境問題まで取り上げていた。しかもその多くは他に先駆けて論じていた。
 p289

ちょうどその頃私は、調査の重点を、GMの弱みと思われるものに移そうと考えていたところだった。つまり、働く者の一人ひとりと仕事の関係だった。ウィルソンの目が輝いた。
「3ヶ月寝ていて、GMの将来のことを考えていました。私もそのことを考えました。会社の基本的な構造はスローンたちが作ってくれました。いよいよ私たちがその行動をフルに生かすことを考えなければなりません。何か中間的な結論のようなものはありますか」
私は2つのことを挙げた。1つは流動性を阻害したり、人件費を硬直化させたりすることなしに、働くものに収入を補償してやることだった。もう一つは後に私が職場コミュニティーと呼んだもの、つまり仕事の設計、成果、福利厚生などの問題の責任を現場に持たせることだった。 p301

「賃金保障については、私たちは1935年頃、一度検討しました。でも諦めました。そのようなことをすれば、GMだって潰れてしまいます。でも、あなたはそれをもう一度検討をしろと言うわけですね」
ウィルソンと私のこうした検討から生まれたものが、今日アメリカの多くの製造業で実施されている。補完的失業給付だった。    p303

ウィルソンが関心を持っていたのが、仕事と職場コミュニティーの問題だった。「アメリカでは、肉体労働者の生産性を上げ、所得を上げ、中流階級にすることに成功しました。これからは、生産性だけでなく、働きがいについても取り組まなければなりませんね」当初はアンケート調査を行う予定だったが、回答率はせいぜい5%しか見込めないと言うことで、急遽たくさんの小さな商品を用意して「私の仕事ー気に入ってる理由」と言う論文コンテストを行うことになった。私もその審査員を務めた。コンテストの結果は、まさにウィルソンや私が考えていた通りだった。さらには、ミシガン大学のレンシス・リカートやフレデリック・ハーツバーグなどの産業心理学が明らかにしていたことの正しさを証明するものだった。  
すなわち賃金や昇進などの労働への対価は、ハーツバーグが名付けた衛生要因に過ぎないということだった。それらのものの不満はマイナスに働くが、それらのものへの満足はさしたるインセンテイブとはならない。成果、貢献、責任こそ、動機付けの最たるものであると言うことだった。コンテストは、働くものは、仕事に満足を見出そうとし、能力を発揮できないことを不満に思うことを明らかにした。働くものは、会社、経営陣、上司が敬意に値することを望んでいた。組合への忠誠と会社への忠誠が相反するとは考えていなかった。会社と組合の両方に属し、両方を必要とし、両方に敬意を払いたがっていた。ウィルソンはこの「私の仕事」をコンテストを在職中の最大の成果として自負した。事実、その通りだった。これほどの成功を収めたものがないと言ってよかった。GMで働くものの3分の2、20万人が小論文を提出した。   p305

したがって、フォードの救済は、プロとしてのマネジメントの責任だった。それに対し、私の説く職場コミュニティーや組合関係の問題は、社会的な責任の問題だった。 p315

私も出席したある社外の会議で、ある会社のCEOが、「我々には高等教育に責任があります」と発言したのに対し、「それでは、我々はどのような権限を持っていますか」と問いかけ、「権限は無い」との答えを得るや、「それなら、責任について話すのはやめようではありませんか。権限と責任はついです。権限を持ちたくなく、また持つべきでないと言われるのであれば、責任についても言ってはならないと思います。逆に責任を持ちたくなく、また持つべきでないと言うならば、権限については言ってはならないと思います。と言った。スローンはこの考えをマネージメントの原則としていた。もちろんこれは、政治理論と政治学が最初に教えることである。責任なく権限に正当性はなく、権限なき責任も正当性は無い。いずれも専制を招く。
スローンはプロのマネジメントとして権限を求めたが、プロとしての責任持っていた。彼はその権限をプロとしてのマネジメントの領域に限定し、他の領域では責任を持つことを拒否したのである。スローンが私の本を認めなかったのもそのためだった。p315

私はスローンの立場の強さは認めた。しかし、スローンと同じ考えを取るわけにはいかなかった。GMの弱さ、あるいは企業のマネジメントの弱さが、まさにスローンが主張する責任の構造そのものにあった。
GMは、市場シェア、利益、売上高など、スローンが成功の尺度としたものについては、大成功収めた。しかし、社会からの敬意や政治的な認知については大失敗だった。同じ事は他の専門職、医師、弁護士、教師についても言えた。彼らに対する批判は、常に社会的責任の欠如に対してであり、プロとしての役割の限定に対してだった。
今日の複雑な組織社会においては、組織たるもの、したがって、そのマネジメントに当たるべきものは、共通の善について責任を果たさなければならない。それを行えるものが、他にないからである。歴史が教えるように、異なる多元社会といえども、共通の善、公共の利益の実現は、それぞれが利害の異なる限定された役割によっては期し得ないからである。 p316・・・・

私の好きな本の一冊です。

再度味わってみたいと思います。

(以前このblogに同じ本のことを書きました。←blogをクリック)

立春大吉

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寒い毎日が続いていますが、節分も終わり立春となりました。

早朝に起床して墨をすり、恒例のお札書きをしました。「立春大吉・・」と書いていると春が来た気分で伸びやかな気持ちになります。

自宅や会社にあちこちにお札を貼りました。
 
 
 

・・・閑話休題、1月に家内とプライベートでプラハ(🇨🇿)、ウィーン(🇦🇹)、ブダペスト(🇭🇺)に行ってきました。一度東欧に行ってみたい望みがありました。

旅行社を通さずネットで飛行機、ホテル、鉄道、Bolt(🚕アプリ)を用意しての冒険でした。年齢が年齢故少し危険かなと思いつつ決行?しました。語学が不安故、翻訳機ポケトークの1番安い機種も持参しました。

市内では各々時間制の公共交通機関乗り放題のチケットがあり、60歳以上半額とか、ブダペストでは65歳以上無料の特典もありクレカのタッチで簡単に買えました。トラムや地下鉄に乗れるとその後はほとんどスマホ見ながらナビゲートしてもらい目的地に行くことができました。

食事もblogで現地に住んでいる方や旅行者のお薦めレストランに行きました。お値段も手頃で全て美味しく雰囲気というかその国の文化が感じられる素晴らしい場所でした。難問のメニューもポケトークの写真で翻訳して原材料は判るので適当に注文しました。

プラハでは「黄金の虎」という有名な古いお店に行きピルスナー🍺を飲みました。タルタルステーキが目的でした。相席だった写真の方に乾杯🍻を誘い話し込みました。チェコ語でしたのでポケトークが大活躍でした。オーストリアのリンツの大きな機械工具会社のチェコのセールスマネージャーの方でした。ビジネスパートナーがプラハ城に来ているのでここで待っているとのことでした。写真は彼がビジネスパートナーに電話をかけているところです。待っている間にジョッキ5杯呑まれました。20歳の時に若気の至りで20杯呑まれたそうです。アルコール度3%強で何も食べずに呑まれます。チェコ人が世界で1番🍺を消費されるそうです。数字で説明して頂きました(熱く語られました🫢)奥様がスペインが好きで年3回行かれるそうです。美しい奥様の写真や子供さんの社員も見せて頂きました。

面白かったのはビジネスパートナー達4名が来られた時には一人一人私たちにご挨拶して頂いたことでした。彼との応答が忙しく料理はゆっくり食べれませんでした。楽しいひと時となりました。日本酒を送らせて頂く予定です。

難題はOBB(オーストリア鉄道)でした。ネットで欧州の旅行サイトで予約しましたが指定席迄は取れませんでした。どうもPDFで切符持参と書いてありましたが上手く出力できませんでした。仕方ないのでOBBのHPの予約ができたところをスクリーンショットで持参しました。前日ホームに上がり駅員3人に見せて聞きましたが?でした。「みどりの窓口」らしきところへ行き聞きますとどうやらQRコードがいるようでした。「!」ときたので再度ポケトークでドイツ語を翻訳してPDFのボタンを探し出しました。無事QRコードを出せました。(一同 🙌三唱)すぐ走っていって先ほどの窓口の叔父さんにお礼方々お見せしました!・・・めでたしめでたし・・・w

ブダペストでは屋外の温泉にも水着で入りました。貴重品を心配しましたが半畳くらいのcabinを借り着替えてロック出来ました。屋外は雪が積もっており一時雪もちらつきました。気温は6℃で水温は38℃でした。なかなかのチャレンジでした🤭

その後、無事帰国でき私達は高揚感に包まれました?

プラハとブダペストは中世が残っている感じの古都で落ち着いてとても素敵な場所でしたw

チルチル・ミチル

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数年ぶりに風邪に罹患しました。2週間でやっと咳が止まり平常状態になりました。

金曜日に東京出張があり日帰りで帰福しました。京都駅から21時台に山陰線の特急がコロナ前と同じようにダイヤに加えられており喜んでいました。2258に福知山駅に到着しました。翌土曜日は早朝より家族3人でゴルフ、日曜日は快晴の中昼ごろよりテニスに行きました。よく月曜日も伏見区で冷蔵倉庫のお引き渡しがあり早出で京都に向かいました。帰りに車の中で疲労感を感じるようになりました。

そこから風邪の症状が出てきました。東京往復で新幹線の中でマスクをしていなかったのが災いだったかもしれません。

何時もお世話になる前田新町の医院に行きました。若先生になられ頼りにしています。5種類ぐらい薬を頂きました。

寝床で咳が酷かったのですが何とか収束しました。

昨日お昼に帰った時に家内から「家の中にあちこちに薬💊が落ちているよ・・・🫨」との事でした。何故か床の上に別々に落ちていたそうです。会社へ行く時に下駄箱の棚の上にも別途携行していた韓国の煎じ薬が置かれていました???

夕刻西部開発に用事があり暗がりの中帰ってきますと車のドアの下に煎じ薬が落ちていました??少し手で拭いて口を開けて「チューチュー」と吸っておりました。そこへ設計のSさんが降りてきました。

「・・・社長何やっているんですか?」(・・不審者?)

「・・・チューチュー😗」

「煎じ薬が落としていて拾ったので飲んでるんやん・・・。」

「・・そや!・・・あんたも飲むか?凄い煎じ薬の匂いがするで。」

1ヶ進呈しました。

「そういえば・・・、お返しに生協のプチ羊羹を持っているのであげますわw」

事務所に上がって美味しくプチ羊羹を頂きました。
 

背負えるビジネス用の鞄の水筒入れのところに薬類を入れていたのが判り、自分が「チルチル・ミチル」状態に陥ったのがやっと理解できました。「自分を知る」事は難しいですね😞

利賀村

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利賀村の1泊した民宿へのアプローチの橋

9月の未だ暑い頃に富山県の山奥の利賀村(南砺市利賀芸術公園)に演劇を見に行ってきました。富山市から南に1時間数十分山中に入ったところにあります。車同士の離合も道幅が狭い為注意を要します。更に1時間ほど南に向かうと合掌造りで有名な白川郷、五箇山になります。南砺市は弊社の名古屋支店の技術者M君の出身地でもあります。

世界的な演出家水野忠志氏率いるSCOT SUMMER SEASON 2025でした。利賀村に着きますと野外劇場はじめ様々な劇場施設が忽然と山中に現れます。世界中から演劇人が集まる「芸術の聖地」と呼ばれているそうです。

・・・丁度少し前から水野和夫氏(法政大学法学部教授現代日本経済論)の本を読んでいました。

「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」の「終わりに」と題する後書きに著者が鈴木忠志氏率いるSCOT(Suzuki Company of Toga)の演劇をみて衝撃を受けこの本を数年かかりで上梓した旨が書かれてありました。

・・・本書は、思想家鈴木忠志の演出する「世界の果てからこんにちは」(以下、果てこん)を経済学的に翻訳するとどうなるだろうかという視点で書いた。SCOT SUMMER SEASON(富山県南砺市利賀芸術公園)で初めて「果てこん」をみた時の衝撃は今でも忘れることができない。どう理解したらいいのかまったくわからず、頭の中が大混乱した・・(「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」水野和夫著から引用)

少し前になりますが日本経済新聞の「私の履歴書」で昨年の9月に演出家鈴木忠志氏が1ヶ月間連載されていました。1966年に劇団「早稲田小劇場」からはじまり岩波ホール演劇監督、1976年に突如富山県利賀村に活動の拠点を移し冬期は積雪3m〜6mになる地で合掌造りの家屋を改造した利賀山房など6つの劇場を利賀村、富山県の協力を得ながら作り上げ、世界に発信、世界の演劇人から注目を集めました。世界的な演出家となりこれまでに海外公演を33カ国88都市で公演を行なっています。鈴木氏が考案した俳優の訓練方法「スズキ・トレーニング・メソッド」は現代演劇の主要な訓練法としてモスクワ芸術座、ジュリアード音楽学院(ニューヨーク)、中国国立中央戲劇学院(北京)など世界各地の劇団や教育機関で体系化され取り入れられています。鈴木氏の「スズキ・トレーニング・メソッド」は若き頃の能の大家観世寿夫との共同と海外公演での見聞、幼少の頃同居した祖父の義太夫語り「竹本綱寿太夫」の大音声の訓練、井戸の水汲みでつちかった腰の入れ方、一日百本やらされた薪割りで覚えた鉈の振り下ろし方とそのブレーキの力、鈴木氏の中に眠っていた古いニッポンの身体感覚を呼び覚まされることから開発されました・・非常に興味深く読み進めました。
 
水野和夫氏の著作も非常に興味深く①1990年代後半より日本の実質賃金が上がっていない。人件費の変動費化。②利子率が世界に先駆けて0%となり資本主義の「蒐集」の歴史が終焉を迎えている。③現代は実質経済で「蒐集」は難しく、米国はIT等サイバー空間に「蒐集」を広げようとしている。④日本は米国の「蒐集」のシステムに組み込まれている。と書かれておりました。

前述の水野氏の「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」の「終わりに」を読んで、頭の中で水野氏と鈴木氏がつながりました。「・・・たしか利賀村で毎年サマーフェスのようなものがあったはず?」と思い調べました。最後の1週に間に合うことが判り、予約可能な4ステージを予約しました。

・・・多分まったく理解できないのでゃないかと危惧しましたが、野外劇場の要所要所の打ち上げ花火の迫力や「ニッポンジン」と何度も問いかける主題、敗戦から現代の米国の「蒐集」システムに組み込まれた日本の在り方への問い、演劇中に盛り込まれる日本の歌謡曲「夜の訪問者 小川順子」「海ゆかば 伊藤久雄」「恋の十字路 歐陽菲菲」「船頭小唄 美空ひばり」等胸に迫るものがあり、考えさせられるものがありました。鈴木氏は「ニッポンジンとは何か?」との「問い」を発していると感じました。

「果てこん」の劇中には院長の科白があります。「私は数え年二十九の時、一人でシンガポールの渚に立った。そして突然なんとも知れん懐かしさの情緒に襲われた。私はこの時以来日本民族と云うものの、現実を超えた実在を信じている」「ニッポン民族の起源は三十万年前くらいであって、その中核は神々であって、これは他の星から来たと思っている。日本民族は中核の人たちが一般の人達を向上させようとする菩薩道である」「終戦後天照大御神はふたたび天の岩戸にお隠れになった。だから日本の天地には愴然として真の喜びがないのである。私達は大御神に再び岩戸から出て頂く為、身命を抛げうって働かなければならない。」と数学者岡潔の言葉が引用されています。

劇の最後は院長の息子が一枚の新聞を持ってきて

「日本はお亡くなりに」

と告げて終了しました。

終了後著名人が沢山来ておられその方達と鏡割りがあり枡酒が観客に振舞われました。
 
最終日鈴木忠志氏のトークショーがあり、座談の名手でありとっても楽しめました。鈴木氏の座談の中で富山県の中学生の見学で学校から感想文が送られてきたそうです。感想文の中の学校の先生の問いで「演劇をみて『Well-being』を感じた事を書きなさい」との問いがあったそうです。鈴木氏のコメントは「Well-beingを感じてる人は演劇なんかやんないよ。不幸だからやるんだよw」と答えておられました。その後東京から来られた演劇をやっている元気な女性が質問してコメントをもらうと「私もWell -beingを感じました❗️」と上手に返しておられましたw

山形へ

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今週山形の親しい友人に会いに2日間行ってまいりました。

7年ぶりの訪問になりました。

以前は家内も連れて行き奥様と天童温泉で食事をさせて頂いたことがあります。この時は厳冬期で山形空港の前で迎えにこられた彼と一緒にツルツルの道路でスッテンコロリン転んだことを覚えています。

同業の縁で親しくなりました。

2000年の介護保険の始まりより老人施設を沢山運営されるようになり、現在は国内で23施設、台湾で2施設を運営されています。従業員は国内で約700名、台湾で100名余りおられます。仙台では医師も雇用されており在宅医療もやっておられます。

・・・介護保険制度の始まる少し前に大学ノートにびっしり書かれた介護事業の事業計画を今は無くなった九段下のホテルグランドパレスの喫茶室で本当に楽しそうに話されていたのを思い出します。
  
  


  
  
お昼に何時も連れて行って頂く蔵王スキー場に上がる道路から入ったところにある蕎麦屋さんに行きました。

年に何回か電話で話しますが、久方ぶりにお目にかかるためにお仕事のお話などを随分して頂きました。台湾でももう2施設も話が進んでおり現地の成功された事業家が社会貢献の為にパートナーになられるそうです。全くご縁のない国でそうした方々と組んでやられるのは彼の人柄、信用のような気がします。ベトナムでもかれこれ10年余り準備をされてきておられます。

翌日は彼のご自宅に招いて頂いて奥様から丁重にもてなして頂きました。
 
  

 
  
  
お昼は近所のレストランで三人で食事をしました。

介護業界も環境が変わってきているようですが、相変わらず彼はニコニコと笑顔を絶やさず、ストイックに精励されており、常に次の一手を準備されているように思いました。

彼に帰りがけに車中「久々に米田節を聞けてよかったよ・・w」と言われました。

「これは有料だよw」と返しておきました。

山形空港で握手をして別れました。
  
  
  

⭐︎2014年の水害の折に彼が送ってくれた尾花沢の西瓜と桃

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⭐︎2015年に弊社協力会で山形旅行を計画した折に彼に電話したら「何で俺に聞かんの?」と言われて「芋煮会」等々をアテンドして頂いた。

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