社長ブログ

金柑

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先日所要で鹿児島まで行って来ました。
鹿児島に行くようになって実に30年になります。懐かしい経営者仲間にもお出合いしたり、お世話になった鹿児島の社長さまのお墓参りにも行ってきました。コロナ禍の合間に家内と行こうとしましたが、第◯波が来て果たせませんでした。少し忘れていた宿題を果たした気分でした。
帰りの鹿児島空港で地元村の特産市をやっており、ワゴンに積まれたネットに入った金柑を一袋買って帰りました。
 
 

 
 
翌週人間ドックで京都泊となり、翌朝所用で東京へ向かいました。
新幹線車中では朝、ホテルで洗った金柑を本を読みながら座席でちょこちょこ食べておりました。金柑が家で食べたらあまりに美味しかったので持参しました。
袋の中からゴソゴソと金柑を出したり種を捨てたりで、風変わりに思われたかもしれません😅お隣の方も私に触発されたのか鞄からチョコレートのようなものを出して時折食べておられました。
 
 

 
 
1泊して翌日の帰りに京都駅では小雨の中「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」(ミズカゼ)に遭遇しました。コートを羽織って和服で正装された御婦人が3名乗り込まれるところでした。女性の乗務員の方がおられたので「撮らせてもらって良いですか?」と声をかけシャッターをきりました。JR西日本とおぼしき方が「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の小旗を持って見送りに来ておられました。声をかけたら気持ちよく写真に応じてもらいました。

 
・・・昨年西部開発の社員旅行で博多駅ではクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」に遭遇しました。
 
 

 
 
JR九州では物々しい感じでホームに赤いカーペットが敷かれており、勇壮な太鼓で出発を見送っておられました。

見送りのJR西日本とおぼしき写真の3人の方に提案してみました・・・。

「JR九州の『七つ星』では太鼓で見送っておられましたよw皆さんも今から太鼓叩いたら如何ですか?」

3人の方、呵呵大笑❗️
 
 

 
 

物証

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立春となり少しづつ春が近づいてきています。立秋の朝は休日でしたので例年よりゆっくり目に起きてお札書きをしました。家の中や各お店に貼るようにしました。

 
 

ある朝出勤しようとするとゴミ出しから帰ってきた家内に

「ちょっと来てみ・・・。」

と呼ばれました。ついていきますと家の前の道路に赤い鳥のフンらしきものが点々と付いていました。上を見ますと電線に沿って点々と連なっていました。

 

 

前日まで玄関の梅もどきがかわいい蕾😍を沢山つけていましたが、一日で綺麗さっぱり無くなりました。。下手人は大体目星はついています・・・😥

香ばしい時間

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謹賀新年。本年も宜しくお願い申し上げます。

 お正月休みの間一度読んだ「フラジャイル 弱さからの出発」松岡正剛著をゆっくり読み返しておりました。その連想ゲームから「少年の憂鬱」松岡正剛著、「幼なごころ」ヴァレリー・ラルボー著にいきつきました。

 

 

 ・・・八月の空の下、庭のはずれから畑が広がっている。まずは平に広がり、ついで正面の丘を登っていくのだが、そちらの方角の視野はその丘で閉ざされている。丘の背に一軒の農家、褐色の屋根の、白く長い建物。白い空を背景に、その農家は本の挿絵のように小さく見える。

 「あの農家は私の領地の外になっていましてね」ラビー氏は客たちに言う。彼は謙遜している。ー人は何もかも所有するわけにはいかない。

小作人のドヴァンセがげらげらと笑う。そしてごっつい指をしょっちゅう口にあてながら喋る。その仕草が彼の口ぶりに重みをつける。

「・・・ラビーの旦那がその気になりゃ、あんなものいつだってものにできますよ。なにしろあの暮らしぶりじゃ。冬はムーランでの賭け事。夏になればリーブクレーブで、こう言っちゃなんだか、もっぱら女遊び。ラビーの旦那、何も急ぐことはありゃしません。二年もしないうちに、パンの一切れもやれば、みんな旦那のものになりますよ」「なにもかも抵当に入っているという話だ」ラビー氏はつぶやく。

 八月の二十九日で八つになるエミール・ラビー、その後日付が人生に大変化をもたらすはずだと信じ込んで指折り数えているエミール・ラビー➖愛称《ミルー》が、ドヴァンセに話しかける。

「いいかい!あの農家は来週ぼくがのくのぼくのお金で買い取るんだ。ぼくは大人になるんだから!」

 自分の言ったことを誰ひとり気にも止めないのでミルーはいらいらし、ドヴァンセの声にかっとする。ぽってりした赤ら顔の、この鈍重な男が大嫌いなのだ。こいつをののしってやろうと思って言葉を探す。しかし適当な言葉が見つからない。ドヴァンセの鈍重さとまわりを飛び交う言葉の言葉の重々しさに圧し潰されそうだ。あんな話はちんぷんかんぷんだ。儲けだの損だの・・・。ああ!すべてに絶望したまさにその瞬間に、彼は見つけるー

「ぼくはね、大きくなったらグルネの息子とおなじことをやるんだ。何もかも食いつぶしてやる!麦藁の上で死ぬんだ!」・・・

 ・・・それにしてもパパやママの友達ってどうして訳のわからない醜い話ばっかりするんだろう?家畜だの賃貸だの用益権だの契約だの抵当だの。それに大人たちがそういう言葉を口にするときの独特な口ぶりときたら!ミルーはお偉方にビンタを食らわせたくなる・・・用益権(ユズユフリイ)は、草の上に落ちてしわしわになって割れて、十一月の雨に打たれて腐ったリンゴだ。抵当(イポテーク)は、白い家の正面に組まれた、真っ黒なおぞましい足場・・・

 大人の話に耳を貸すのはもうやめようとミルーは決心する。自分の腰かけているベンチの上で少し後ずさりして、ダンパとちっちゃなローズのための席を作る。ふたりは目に見える存在ではないが、ドヴァンセだのパパの友達だのにくらべれば、はるかに関心を注ぐに値する。

 ダンパはミルーの親友であり兄弟だというだけでは足らない。彼はミルー自身なのだ。ただ、目に見えず大人になっている。つまり現実から解放され、未来に投影された彼自身だ。ダンパは、地図にのっているあらゆる国、ガリニエ中佐の本に描かれたすべての国を歩きまわる。(ミルーはジュール・ヴェルヌが嫌いだ、だって本当に起こったことじゃないんだもん。)ダンパは行動人だ。白いヘルメットをかぶって。フータ・ジャロンを突き進む。ブー族やトウークルール族の国々を訪れる。セネガルの原住民やセネガルの狙撃兵からなる少人数の護衛をしたがえて、蒸気機関つきのボートでニジェール河の流れをさかのぼるのがもう四回も見られた・・・

 ・・ちっちゃなローズは(ミルーとほぼおない年で)アラブ人が報復のために両親からさらった子供だ。彼女はアラブ人の小屋から逃げ出したのだが、フランス軍の野営地の近くまで来たとき、歩哨が発砲したため気を失って倒れ、腕を折ったのだ。明るい金髪でとても優しい。(去年の夏にミルーがリーブクレールの子供舞踏会で見かけたスウェーデンの女の子に少し似ている。)彼女はまだ腕の骨折に苦しんでいる。しかしミルーとダンパが引き取って保護しているから、もうほとんど不幸ではない・・・
(「幼なごころ 『包丁』」 ヴァレリー・ラルボー著 岩崎力訳より)

 ヴァレリー・ラルボーの類稀な知性と香気が伝わってきます。言葉を紡ぐ達人かと思われます。ラルボーは各国語に通暁した語学の天才であったそうです。たとえばジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」のフランス語訳はラルボーの仕事でした。(ラルボーは、貧窮のジョイスに自分の留守中のパリの自宅を無償で提供しました。)語学の達人でありながらほどよい抑制が効いており、ありのままに描写されております。日本で言えば私の好きな「銀の匙」中勘介著でありましょうか?
 
 ・・・一連の本を読んで感じることは自分の内記6丁目時代(幼稚園〜小六)まではやはり特別の香ばしい独特の時間であったかと思います。いまだに内記6丁目時代の幼馴染(一人は物故)とは仲良くしています。

・・・雪の後、二日連続二人でかまくらを作って相方のスコップが私の鼻柱に二日連続当たって病院に行き母に厳しく叱られた事、夏休みに毎日相方が家に来て自分の兄弟と二階で押し入れで影絵をやって蝋燭が倒れ危うく火災になりかけた。父が帰ってきて相方も含めて正座で叱られた事、淳明小の間の空き地にビー玉の「天国と地獄」の穴に瓶を仕込み幼馴染が「ビー玉の全部取り」の期待でご満悦であった事、両方に家が建て込む路地がありお互いの家の中が筒抜けであり向かいの奥さんが夫婦仲の事で幼馴染の母に泣きついてこられた事、夏休みは三輪車で兄弟も含めて家の周りのワンブロックを一周して競争した事、夏休みのラジオ体操で調子に乗って幼馴染と前に出て三人の指揮者よろしくラジオ体操をしたら唐突に父が苦虫を噛み潰した顔で来た事等々・・・。香ばしい独特の時間であったと今更ながら思い返します。
 
 
 
 

初冬

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朝夕は随分と寒くなってまいりました。
 


 

関連会社の砂利採取業の西部開発では中地区で渇水期の砂利採取事業が始まりました。同地区での5期目の事業になるために準備が着々と進んでいきます。
 
 
合間にちょこちょことヨネダの現場に行っており繁忙期といった感じです。朝起きて頭にフラグの立つ現場に行きます。(写真は東住吉区の泉州屋様の冷蔵倉庫の現場)
 

 
秋も深まり様々な行事がありました。
 
 

 
 
リフォーム事業部篠山店のM君の婚礼にも神戸まで行ってきました。弊社を退職した彼の同期も駆けつけてくれ5人が全員揃いました。(写真はM君主催のM会幹部の面々)彼の面倒見の良いお人柄を感じさせられる披露宴となりました。
 
 
過日2005年に参加させて頂いた勉強会の同窓会にも参加しました。翌朝も早朝から会議があったために京都へトンボ帰りの参加になりました。早い目に行って主催会社のT先生のおられる事務所で5名ぐらいの仲間で久闊を叙しました。老香港酒家までインバウンドで活気のある京都の裏通りの夜道を歩いて行きました。
 

 
道中には江戸時代から続く弓を作られる工房があったり、路地裏に工夫を凝らした洒落た飲食店もちらほら見かけられました。京都の魅力といった感じでした。

 
KOKON KARASUMAの地下にお店があり美味な香港料理に舌鼓をうちました。仲間の経営者の旧知の料理店でした。皆さんのDeepな?近況もお聴きしました。
 


 

・・・しかし・・・経営者同士の同窓会が18年もよく続いています・・。

頼山陽

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関連会社の砂利採取業の西部開発の社員旅行で博多、長崎に行ってきました。
 


 

二日目の長崎では軍艦島にも行ってきました。

ガイドさんの案内がとても良く、いきいきと当時の採炭の様子を話していただきました。
 

夜は宿からタクシーで小高い山の中腹を越えて茂木というところまで行き、歴史のある活魚料理の料亭に連れて行っていただきました。

湾を目の前に臨む素晴らしい場所でした。(・・後で判ったのですが天草の対岸でした。)
 


 

伊勢海老の活き造りや鮑を前に皆テンションが上がっている頃、隣に座っていた工場長代理のT君が何やら箸袋の裏の文章を訥々と声を出して読んでいました。

「・・・くもかやまかごえつか すいてんほうふつせいいっぱつ ばんりふねをはくすあまくさなだ けむりはほうそうによこたわってひょうやとぼっす べっけんすたいぎょのはかんにおどるを・・・」

「!」ときて、箸袋の裏を読むと頼山陽の「泊天草洋」という詩でありました。
 


 
 

泊天草洋

雲耶山耶呉耶越
水天髣髴青一髪
萬里泊舟天草洋
煙横篷窗日漸没
瞥見大魚波間跳
太白當船明似月

遠くに見えるのは、雲だろうか、山だろうか、それとも呉の地だろうか、越の地か。
水平線との境に、髪の毛のような青い一筋が連なっているのがみえる。
万里の彼方に広がる天草洋に舟を泊めて、夕もやが舟の小窓あたりにたなびいて、太陽はしだいに西の海に沈んでいく。
一瞬、波間に大きな魚がびとび跳ねるのが見えた。
空には、宵の明星の金星の光が舟にあたり、それは月の輝きのように明るかった。
                                    「頼山陽詩選」より

 

・・・以前に天草を旅した折にふと「天草、あまくさ、Amakusa・・・?」と頭に浮かび「頼山陽詩選」という本にあったこの詩を思い出したことがありました。

頼山陽は江戸時代に「日本外史」を現した歴史家です。この地へ来ると何故か頼山陽に縁があるのが不思議です。

夜は皆でカラオケに行き楽しい夜を過ごしました。