社長ブログ

Good fellows

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fotograph by Akiko Morita
  
  

明けまして おめでとう ございます。

本年も宜しくお願い申し上げます。
  
  

  

 
 1月2日に郵便局に会社の年賀状を留め置きにしている為、受け取りに行きました。今年から法人での年賀状の欠礼の案内を出させて頂いた為、年賀状も例年より随分と少なくなりました。その中に弊社の顧問弁護士であり、親友のO君から何か品物が送ってこられていました。開けてみますと「イヤープレート」というものが入っていました。(昨年の干支の寅)

 娘の婚姻のお祝いでした。暮れに彼に出した手紙に「今秋は亡父の三十三回忌や娘の婚礼があった為に忙しかった・・」旨をしたためたためです。彼と奥様のお心遣いに頭が下がりました。
 
 
 

  

 
 彼は小学校、中学校の同級生で当時は随分と「鉄ちゃん」でした。小さな身体にリュックとカメラを背負い夜行列車に乗って精力的に全国を駆け巡りました。社会人となってからは、新進気鋭の弁護士として世に出、多くの書籍を執筆したり、マスメデイアにでたり、大学で教えたり、内閣府の委員会にも招請されるようになりました。大阪、東京に事務所を構え二十人近くの弁護士を擁する様になりました。

 数年前に回帰現象か?若年の頃より撮り溜めたSLの写真集を上梓しました。(大学時代には全国ほぼ無煙化)過日奥様から頂いたメールに

「・・仕事をリモートワークでこなせると、以前に比べて「移動時間」が浮きます。夫は時々現地に行く機会に、昔(中学生時代)の様にカメラを持って出る様になりました・・。」

との事です。

 友人として微笑ましい気持ちで文面を読みました。お互いに・・時の流れを感じます。

師走

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過日、京都府公館に於いて西脇隆俊京都府知事様より小職に黄綬褒章の伝達がなされました。多くのお客様、お取引先様、業界関係者様、地域の皆様のご支援ご指導、何にも増しての社員の方々の日夜を継いでのご尽力、家族の支えお陰と深くお礼申し上げます。多くの皆様方のご祝意に深く御礼申し上げます。
 


 

思い返しますと22歳からこの業界に入り旧青木建設、米田組(ヨネダ)でお世話になってきました。星霜幾年と申しますが、困難な事も有りましたが、その都度社員友人知己先輩に恵まれ助けられ楽しく仕事をしてまいりました。先月娘の婚礼が東京でありました。婚礼の結びに娘の手紙がありましたが「・・仕事の大好きなお父さん、目を光らせて仕事に向かい・・」とあり、自分にとって一番の嬉しい言葉であったと思います。
 
50歳から62歳まで地元の業界団体の長をさせて頂きました。行政機関との入札制度等の調整、大規模災害や鳥インフルエンザ、除雪等の対応がありました。丁度当時は地元で何回も床上浸水等の災害があり、行政機関の実動部隊としての出動が何回もあり34社の業界団体の仲間にお世話になりました。62歳の時に長を降りさせて頂きました。任務が無事済み淡々とした心境でした。一年ほどして車を運転している時に時たま過去の12年間を思い返す事がありました。古風と言いますか真面目と言いますか業界団体の仲間がよくぞ協力をしてくれたという思いがしみじみと込み上げてきました。自分の50歳代を心の綺麗な仲間と過ごした事が・・・私の淡い喜びです。今も業界団体の理事をしており、協会へ行って仲間とたわいない話をしているが無上の楽しみです♪(年寄りやから大事にしてもらえる・・w)

有難うございました。

 

法要

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先日、先代の三十三回忌法要を行いました。

当日は生憎の小雨でしたが無事親族19名で法要を営みました。

名古屋に嫁いだ姉妹夫婦、東京在住の甥っ子も来てくれました。

先代は甥っ子姪っ子をずいぶん可愛がりました。(両端)

夏休みは1ヶ月位名古屋から来ており、母は毎日プールへ連れて行き子供たちは真っ黒でした。

「お爺ちゃんはご飯の時は怖くて全部食べるまで部屋から出してくれなかった・・・(涙)」

確か居間の扉に彼の手の届かない処に閂のような鍵🔑がつけられていた気がします。(家内の記憶)

先代が甥っ子に出した手紙の一部(S62年)

 
 
 
折角なので先代を偲ぶ小冊子を作りました。

(・・・ずいぶん簡単にできました。アルバムの写真をGoogleカメラで4焦点で撮り合成して校正し「ネットで印刷・・・♪」に送ればあっという間にできてきました。)

改めて先代の労苦や家族や皆さんに愛された人柄が偲ばれます。

何はともあれなかなか一堂に介せない親族が集まって和やかな時間を過ごせて有難かったです。

 

 
 
・・・法要が終わってしきりに以前読んだ本の一文が思い出されました。

東の方へ修行(すぎやう)し侍りけるに、富士山をよめる
風になびく 富士の煙(けぶり)の 空に消えて
 ゆくえも知らぬ わが思ひかな

                  「西行」白洲正子著

 
 

繋がる

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先日、東京在住の娘からLineが来ました。

マスコミ関係に勤務しており、上司の女性キャップの方が国会関係を廻っておられ当地選出のH先生の事務所にいかれ私も存じ上げており、その話で盛り上がったとの事です。

どうゆうわけか「お父さん、私も挨拶に行ってくるわ。」との事で行きました。

その1ヶ月くらい前もお父上の在所が夜久野町で我々の業界の職域代表のA先生の処へ、女性キャップが行かれ私の娘が福知山出身との事で話が盛り上がったそうです。そちらへも娘が事務所に挨拶に上がったそうです。

家内と「繋がるね・・。」と話しておりました。

 
 
 
明日はお寺の秋の掃除です。

草刈り道具を持っていないために、重機部に借りてへっぴり腰で草刈りをします。

今日も高速道路に行っている重機部の方にお願いして借りようと考えていました。お昼前にR9号の会社の前のランプを降りてくるところに出くわしました。車を停めてお願いしました。快諾頂きました。

夕刻会社に帰りますと会社に草刈機が丁寧に準備してありました。

試運転をして分からないところをたまたまいた住宅のM君に聴いていますと、建築のM君が車で通りかかりました。

「社長、グラスも要るやろ。」

とグラスを渡してくれました。(春の草刈りの時も借りた。)

なんか・・・やることなす事「繋がって」くるなあと感じましたw

明日も「間に合いませんが」安全運転で草刈りをしたいと思います。

処暑

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 朝夕は虫の音も聞こえ過ごしやすくなってまいりました。

 夏休み中盤(大学生)になり、恒例のインターンシップの学生さんが順次会社に来ていただいています。二泊三日の予定で土木・建築や設計・住宅リフォームに分かれて各部で対応させていただいております。業務忙しい中各社員が対応してくれています。結構大掛かりな準備になっており採用担当者は多忙を極めております。建設業界への理解が進めばと思っております。ある意味「一期一会」の出会いの部分もあります。

「この3日間で㈱ヨネダ様、ヨネダの社員の皆様、仕事内容から社内の雰囲気までたくさんのことを感じ取ることが出来ました。

最初、土木では何をしてるのか知りませんでした。しかし、現場を見学し、職人さんや施工管理者の皆さんとお話しをさせて頂く中で土木や施工管理についての内容を知ることが出来ました。 今回のインターンシップで自分の将来について考え、土木業界を知る機会を作って頂けたこと、ありがたく存じます。

KさんとIさんの現場での1日半の見学はとても忙しく、少し緊張感のある現場でした。しかし、実際の測量の体験や時間がない中でドローン体験、施工内容の説明をして頂き、貴重な時間を過ごさせてもらったことが嬉しい限りです・・・

最終日の帰り、Fさんが運転されている中、ずっと私的な話や相談をしていまい、ご迷惑をおかけしました。しかし、しっかりと話を聞き、アドバイスもして頂き、大変ありがとうございました。Fさんのアドバイスを思い出しながら、今後の就職活動を頑張っていこうと思います。」

帰郷後、こんな素敵なメールも頂きました。
 
・・・閑話休題。

 先日たまたま書棚にあった安岡正篤著「立命の書『陰隲録』(いんしつろく)を読む」を読んでみました。陰隲録は中国の善書の一つだそうです。書棚に長年積読(つんどく)になっていました。安岡正篤氏は著名な陽明学者、易学者、哲学者です。「・・時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス・・」の終戦の詔勅に朱を入れられたのも有名です。吉田茂からは師と仰がれ岸信介、佐藤栄作等歴代の総理と繋がりが強く財界人に多くの信奉者がおられました。「平成」の元号も安岡氏の示唆によるとの説が巷間に流れています。

「運命と立命」についての本でした。

 著者である明代の呉江の人、袁了凡(えんりょうぼん)は若い頃に父を喪いました。母に医学を学ぶよう勧められておりました。慈雲寺にある時、孔という不思議な老人が訪ねてきました。

「君は仕路(官吏になる)、役人生活をする人になる。来年は科挙の学問をどんどんやるようになる。どうしてその道の勉強をしないのか?」

 宿を求められたので自宅に連れて帰り母に出会わし、これまでの運命を占って貰ったところ悉く当たりました。袁了凡は「よし!それなら一つ進士の受験勉強をしよう」と言う気になりました。

 孔老人は「県考は十四番、府考は七十一番、道考は九番で合格し、本試験の進士の受験に赴く・・。」
「某年の試験には幾晩目で合格し某年にはリン生となって禄米を貰うようになり、某年には貢生となり給料を貰うようになるであろう」
「某年には四川省の一つの大きな地方長官に選ばれる。しかし任にあること三年半で、辞表を提出し故郷に帰ることにあるであろう。そして五十三歳の八月十四日の丑の時刻に自分の家の表座敷で息を引き取る。惜しいことには生涯子供は出来ない。」と言いました。

 袁了凡はその予言にしたがって科挙(かきょ。官僚の登用試験)を目指しました。順調に孔老人の言う通りに貢生の試験に通り、都の北京に入り一箇年逗留しました。南京の国立大学に遊学することになりましたが、その前に高僧である雲谷禅師を南京の棲霞山に訪ねました。三昼夜心を鎮めて座禅を組みました。座禅の姿に一点の妄念が無いことに驚いた雲谷禅師はなぜそれができるのかを訊ねました。

 袁了凡は「自分は孔と言う老翁に一生のことを占定して貰ったところ、悉く皆的中したので、それからと言うものは、人間の栄辱死生というものはみな定まった運命があるのだと信ずるようになった。だから妄想を起こそうにも起こす妄想がありません。」と答えました。

 雲谷禅師は「何たる愚か者か。お前さんは二十年この方、他人から占定されて、少しも変化がなかったのはそもそも凡人でなくて何であるか?」※「天命は自分から作り、福は自分から求めて得るとは詩経や書経の言うところであるが、誠に立派な教訓である。我が仏教の経典にも『富貴になろうと求れば富貴を得、男女の子を欲しいと求れば男女の子を得、長寿を得たいと願い求れば長寿を得』と説かれている。そもそも虚言は仏者の大きな戒めとするところであるから、諸仏諸菩薩はどうして虚言をついて人を欺くことをされようか。そんな筈はないのである」と言う。

 袁了凡はさらに進んで質問した。「孟子に『求ればこれを得。我にあるものを求むるなり』と言うてあるが、これは道徳仁義というようなものは自分の心の内在するものであるから、努力することによって求めることはできるけれども、功名富貴というようなものは自分自身の外にあるものはいかにして求めることができましょうか?」

 これに対して雲谷禅師は言われた。「孟子の言葉は誤っていない。お前さん自身が誤って解しておるのである。お前さんは六祖の説かれているのを見たことがないか。六祖太師も『一切の福田は心というものを離れない』と言われている。自分の心に向かって求れば、天も感じないことはない。結局は自分の内に在るものを求めることに外ならない。だからただ道徳仁義といった自分の心に内在するものが得られるだけでない、功名富貴といった心の外にあるものも得られる。自分の心に向かって得ようと努力すれば、心の内に在るもの、こころの外に在るものも二つながら得られるのである・・だから自らに反省することなく、いたずらに外に向かって求めようとすれば、これを求るに道あり、これを得るに命というものがあるのであるから、結局自分の心にある道徳仁義も、自分の心の外にある功名富貴も共に失ってしまって、自分自身に何の益もないことになってしまう。」        (各々「立命の書『陰隲録』を読む」より)

 袁了凡は「立命」の説に強く感動し、教えに従い、徳性を拡充し、善行を力行し、多くの陰徳を積んだところ孔老人の予言はだんだん当たらなくなり、五十四歳で死ぬと言われたのに七十四歳まで生き、子に恵まれないと言われたのに一子天啓をもうける事が出来ました。この天啓のために自分の体験を書き留めたのが「陰隲録」です。「陰隲」とは書経の「惟(こ)れ天下、民を陰隲す」からでており、陰は冥々(めいめい)の作用、隲はさだめるという文字だそうです。すなわち「自然の支配する法則を人間の探究によって得た法則に変化させていく」事だそうです。

 京セラ創業者稲盛和夫氏の講演テープの中でも何回も「陰隲録」に触れられており「惟(た)だ謙のみ福を受く」「積善の家に必ず余慶あり」の言葉が印象深いです。

 読んでみますと、スラスラと読み進めることができました。何か目の前が明るくなった気がしました。自分の来し方を省みる事にもなりました。学生さんも青雲の「命」を立てかけがえのない自分の未来を切り開いていってほしいと思います。
 
 
※・・・予初め学海と号す。百川(ひゃくせん)海に学んで海に至るの義を取る。是の日改めて了凡と号す。蓋(けだ)し立命の説を悟って、凡夫のソウキュウに落ちざらんと欲すればなり・・・
                    (「立命の書『陰隲録』を読む」より)