社長ブログ

清家清展

建築

 東京出張の帰りに汐留の某社のミュージアムで清家清展を見て参りました。
「違いがわかる男のゴールドブレンド・・♪」で建築家としての職業を世間に広めた有名な方です。

「私の家」(ワンルーム)が実物大で展示してありました。鴨長明の「方丈記」に記述してある「理想の住まい(ワンルーム)」を図面化し比較してありました。(鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけたそうです。後に知りました!)
ワンルームの住まいは古今東西、永遠のテーマのように思います。
出来るだけ平面を仕切らずに2つのTの字だけで間仕切ってありました。舗設(しつらえ・室礼)という考え方で必要に応じてふすまや障子で間仕切るそうです。

興味深かったのは戦時中、海軍技術見習い尉官(後に大尉・海軍兵学校教官)として舞鶴に任官されていたこと。

またワルター・グロピウスさんから清家さんへの米国のTAC(グロピウスが中心となって結成したパートナーシップ)への誘いの手紙。

「今すぐ日本を出発して米国へ来れば週給100ドルを支払うことが出来ます。・・・
ここ3・4ヶ月は仕事を確保していますがその後はわかりません・・。」

「いつの時代にも後に歴史に名をとどめる方でも仕事の確保の苦労があったのだなぁ・。」と思わず共感しました。(涙)
 
ワルター・グロピウス:ドイツでのバウハウスの指導者で米国移住後はハーバード大学を舞台に建築の偉大な教育者として有名。米国における現代建築発展の基礎を作った。

バウハウス:ドイツにおける造形芸術学校。日常の生活用品を、絵画や彫刻といった純粋芸術と同じ次元のものとしてとらえ、生活空間の充実をはかった。幾何学的な形態、原色のシンプルなデザイン、素材の素直な表現といった今日のインダストリアル・デザインの原型の作品を世に送り出した。

「住宅読本」(中村好文著):建築家の著者が清家清さん宅を訪ねてインタビューするくだりがあります。
『・・清家さんは飄々とした仙人のような方で、ニコニコ顔で語られるそのお話もどこまでが冗談なのか分からず、どう受け答えしたらいいか、実はちょと困りました。ワンルームの自邸に関する清家さんのご自慢の駄洒落は「この家は室内から庭まで石貼りの床が繋がっているので、靴のまま出入りが出来て便利だったけれども、枯れ枝や、砂ボコリや、虫なんかも遠慮なくどんどん入ってくるので困った。どうかすると犬なんかもどんどん入ってきちゃうんだ・・・で、これがホントのワンルーム!」というものでした。』(笑)

清家私の家清家展ポスター清家フロ実験

うだつ

建築

 昨日市内を運転中、商家の外壁に「うだつ」が上がっているのを見かけました。
「うだつ」とは隣家との間にもうける土造りの防火壁で富の象徴とされました。「うだつがあがらない」という言葉もここから来ています。

司馬遼太郎さんの著書で街道をゆく⑲「中国・江南のみち」の中に杭州の街並みに「うだつ」を見かけることを期待して旅する記述があります。杭州は寧波(ネンポー)という港に近く、寧波は室町期以降、日本との海上交通の拠点として栄えました。杭州や寧波の街並みに「うだつ」が沢山見ることができたようです。

江戸初期までは町方の建物は板葺きで粗雑なものが多く火事にでもあえば密集している江戸・大坂(阪)はひとたまりもなかったそうです。江戸中期以降、奉行所は防火上の対策に腐心しました。瓦葺き・土蔵造り・塗り壁構造とひろがり都市景観が変わっていきました。

司馬さんはこの地域の民家つくり方がなんらか江戸期の日本の類焼防止の工夫に影響があったのではないかと推測されたようです。

遣唐使も通り、仏教の伝来の通り道となったこの港(寧波)からこの様な造作の仕方も入ってきたのかと思いました。

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体験入社

社内

 夏休みに3名の来春入社予定の大学生が1週間ずつ会社で働いています。大阪・京都の説明会で会社に縁のあった精鋭で大いに期待が持てます。

先輩からの評価も上々で
「大きな声で返事をしてくれるので一緒に仕事のしがいがある。」
「是非来春○○君を我が部にください・・・。」
などと引く手あまたです。

毎日大学ノートにその日の日報や感想・提案を書いてもらいましたがぎっしりと書いてありました。1週間のホテル住まいで大変だったと思いますが一緒に食事会をしたりして会社に馴染んでもらえたと思います。

目元の涼しい爽やかな笑顔を残して京阪神に帰って行きました。来春一緒に仕事をするのがとても楽しみです。

新卒杭土質新卒有難う

今昔

歴史, 社内

 先日車で梅田からの帰り御堂筋線に上がろうとして信号で止まっておりました。

「!」と目の前の光景に身体が反応し思わずシャッターを押しました。

先代は昭和30年代末からに某大手建設会社の名義人(下請け)として大阪近辺でも仕事をしておりました。昭和44年に御堂筋線(中津近辺)の仕事をしております。

目の前の光景がその場所だったわけです。
昨年から若い社員向けに簡単な社史を作ろうとして写真を整理しておりました。
同じ場所の35年前の写真が会社にあります。
当時は「大東洋」と言うサウナの横に当社の事務所があったそうです。
(その現場に行っておりました叔父に聞きました。)

会社のアイデンテイテイを感じさせられる場所です。

御堂筋

 御堂筋H17.8

会議は踊る

社内

 ある部署の会議に出席しました。
普段は出席しない部署の会議で淡々と進んでいく中で若手社員の成長を感じました。

イベントの受注の成否の一覧がボードに貼られ思わず笑ってしまいました。
こんな絵が貼ってあったら会議も楽しいですね。

会議は踊る:映画の題名。オーストリアの将軍・リーニュ公の「会議は踊る、されど進まず」という、会議を評した有名な言葉にちなんでいます。

会議