諸々(もろもろ)

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某日都内に出張があり、早朝「のぞみ」で帰社。

東京駅のコンコースを歩くとゴミ一つ落ちてなく、掃いて清めたようになっている。

「う~ん、このオペレーションは凄い!」

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何時もどおり、品川名物貝づくし弁当を客席にてほうばる。

考えてみると、誰とも一言も話さず、パソコンでExpress予約やホテルも予約し、時間通りにかなりの頻度で精確に新幹線が動き、あれだけの乗降客がいる東京駅が朝にははいて清められたようになっている・・・・、「日本国の達成した凄さ!」ではないかとつくづく思います。

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車中にて「ギボン自叙伝 わが生涯の著作との思い出」を読みました。

エドワード・ギボン(1737-1794)は英国の歴史家で古代ローマ帝国の興亡を記した古典大作「ローマ帝国興亡史」の著者として有名です。

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著者はロンドン近郊の比較的裕福な家庭に生まれ、14歳でオックスフォード大学へ父親から入れられる。勉学は余りせず当時はやりの宗教論争に凝りだしたため、父親が心配しスイスのローザンヌのプロテスタントの牧師に預けられる。そこで語学や古典の勉学を始めた。

「・・さて私は仏蘭西語・ラテン語の翻訳に際し、大変良い方法を採ったが、自分の成功に鑑みて学生諸子も倣われるようお勧めしたい。私は先ず、キケロー、ヴェルトーのような、文体の純粋と優雅とで最も定評のある作家を選んだ。それから、たとえばキケローの或る書簡を仏蘭西語に訳し、原文を棄てて単語や熟語が記憶からすっかり消えてしまうと、今度は自分の仏蘭西文を再び自分の書き得る限りのラテン語に訳し返し、その上で私の不完全な訳文を、このローマの雄弁家の流麗・優美・端正な文章と一句一句比較した。

・・・私は、全部の書簡、全部の演説、及び修辞学や哲学の最も重要な諸論文を、一意専心且つ愉快に読破した。

・・・私は言葉の美を味ひ、自由の精神を呼吸し、彼の教訓や模範から、人間の公民として又個人としての心構えを理解した。

・・・雄弁と知慮との書庫と言ふべきこの偉大な作品を読み終へると、次にはラテンの古典を一、歴史家、二、詩人、三、雄弁家、四、哲学者、の四群に分ちブラウトゥス、サルスティウスの時代から、ローマの国語と帝国との衰微に至るまで、年代順に閲読しようといふ更に遠大な計画を立てた。そしてこの計画をローザンヌ滞在の二十七箇月(1756年1月ー1758年4月)に、殆ど遂行した。」

以前に読んだ「古代への情熱 シュリーマン自伝」シュリーマン著を思い出します。

幼い頃に読んだトロイ戦争の物語に感銘を受け、トロイ戦争は実際にあったと本気で信じたシュリーマン。その夢を実現すべく、少年時代から働きずくめに働いて蓄財し、そして語学を十数ヶ国語独学で学び文献を漁り、遂にトロイの遺跡の発掘に成功するお話です。幼年時に一緒に発掘を夢見た女性とは数日間の求婚の遅れで夢かなわず、後に結婚し一緒に夢を果たします。

その語学の取得の仕方が圧巻で、文法書によって文字と発音を覚え、文章を丸暗記し部屋を歩き廻りながら暗誦を繰り返すことによって超ハイスピードで語学を取得して行きました。

丁度、ギボンの語学の取得に似ているように思いました。

「ローマ人の物語」塩野七生著(全43巻)読んだことがあり、「ローマ帝国興亡史」もいずれ手にとって見たいという思いもあり著者のギボンの名前に反応し本屋で購入しました。「ローマ人の物語」を全部読むには3年位かかりました。その間に同じ著者の「海の都の物語 ヴェネネチィア共和国の一千年」(全6巻)や「わがともマキャベリ-フィレンツェ存亡」なども関連で横道にそれ?読みました。

最近はアマゾンで本を思い出したように買っており、購入して最後まで読まない本も多いです。新聞やネットで興味を持ちワンクリックで注文みたいなパターンですが積読(つんどく)が多いように思います(苦笑)
 
 

この本のお蔭で「ヘロドトス 歴史」松井千秋訳などの歴史書を関連で読み始めました。紀元前5世紀頃のギリシャの諸都市とペルシア帝国との抗争の歴史です。豊富な説話や風俗習慣が書かれており読みやすいです。

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・・・

後日譚。

後日本屋に行きました。

思いつくまま8冊程度購入しました。

購入した「21世紀の日本最強論」文芸春秋編に福島清彦氏が「衝撃の国連レポート『世界一豊かな日本』GDPを超える新経済統計 日本の強みは設備・インフラ力」と言う文章がありました。

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成熟した先進国がGDPで経済の豊かさを計ることからの脱却お話です。既にEUでは2020年の長期戦略についてGDPと言う言葉を使っていません。若者の学力向上や貧困者数削減などの五項目の具体的な数値目標を定めています。

新しい「物差し」は2009年に米国のコロンビア大学のステイグリッツ教授(2001年ノーベリ経済学賞受賞)が主査となってまとめました。仏のサルコジ大統領から教授に「GDPに代わる新しい経済指標のあり方を考えて欲しい」と諮問され考えられました。「暮らしの質を計る」(金融財政事情研究会)として邦訳されているそうです。

その「物差しの要素」は

①国民の頭脳能力である人的資本
②ヒトが生産した資本
③国民の信頼関係である社会資本
④農業・鉱物資源を中心とした天然資本

だそうです。

私が初夏の早朝、東京駅で「心地よい」感じたのは①と③かもしれませんね。

機会があられましたらご一読あれ。

「俺が始末するら~♪」

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日曜日から1泊2日でユーミーマンション施主会で高知へ旅行してきました。

初日は晴れ後曇り、翌日は雨模様となりました。

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総勢22名、最年長は御年93歳の大先輩でした。

毎年ご一緒しているため、皆さん顔見知りでくつろいだ旅となりました。
 
 

昼は高知城と日曜市、夜は陽気な土佐芸伎とのお座敷遊びでした。

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♬菊の花〜 菊の花〜 開けてうれしい菊の花
♬誰が取るのか菊の花〜

 
 
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全員で順番に盃を空けていき、当たった順番の数だけ盃を飲み干すゲームでした♪

 
 

 
次は可盃(べくはい)。
 

♬べろべろの〜 神様は 正直な神様よ~
♬○○のほうへと おもむきゃね おもむきゃね~

 

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可愛い絵柄の独楽を廻して、当たった人が盃を飲み干すものでした。

陶器のおかめ・ひょっとこ・天狗の盃があり、全てに穴が空いていました・・・。

飲み干さないと盃を置けないものでした。。
 
 
 
皆で大笑いして夜は更けていきました。

お料理も美味しく鰹のたたきを塩で食べたのが素晴らしかったです。
 
 
 
昼間、日曜市のそばの公園で人だかりがしていました。

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将棋を指しておられました。

観客も多く、外野から思い思いの事を言っておられました。

「・・・筋がわかっとらんき~。」(ペットボトルの男性)

「・・・(ペットボトルの男性を)誰か縄でしばらんき~。俺が始末するら♪」(観客その2)
 
 
 
何処までも陽気な南国土佐でした。

 
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「この数字どっかで見覚えあるやろ・・・?」

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某日、子会社の砂利採取販売の西部開発のKさんより電話。

「ネットで問い合わせが来た個人の方から4m3の砂利の配達の見積もりが、サイズが40mmと25mmと二通りあります。

40mmの比重は2.65ですけど15mmは比重が判らんのですけど・・・??

砂の比重が1.65やから工場長は『そちらに近いんやないか?』と言うてんですけど・・??」

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「ふ~ん?僕も判らんわ?・・・直ぐ行くわ。」

 
 
 
西部開発に急行。

1.15mmの砂利を台秤で量る

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2.水を500ccいれた円筒形のビーカーに入れて増えた分の体積を計る。

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3.電卓で「重さ/体積」を出す。

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電卓をKさんに差し出す。

「この数字、どっかで見覚えあるやろ?」

「アッ !!」

Kさんの顔が輝く。

・・・上機嫌で帰りの車中思い出しました。

大学1年の頃化学の授業をとっていて毎回半分が講義、半分が実験でレポートを提出したら帰れるという形式でした。

毎回1番に教室を退出することを自分に義務付けしており、思わぬところで役にたちましたw

幼き日

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最近、しきりに幼少時からの父母との記憶を思い出す。

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1.生まれて最初の記憶は父の膝の上でグリーンピースのようなものを吐き出しだしている光景。

どうも母の言によると、昼間父と仕事をしていた後述のOさんの奥さんから

「洋一・・・!」

と言って生きた鶏を顔に近づけられたらしく、夜ひきつけを起こしたらしい。

 
 
2.次の記憶は幼少時今の隣の部屋の畳の上で寝ていると若き頃の叔父に身体をつつかれた光景。

此の叔父には3年前に亡くなるまで幼少時からとてもかわいがって貰った。

子供の頃から何回も鮎捕りに連れて行ってもいらった。

中学2年生の春休みに初めて小豆島・高松・高知・宿毛への一人旅をした折、未明に駅まで送って貰った。
 
unnamed7 (母のメモ)

unnamed (叔父)
 
 
3.その次の記憶は内記6丁目に移り、幼稚園時ぐらいと思われるが、雪の朝家の向かいの駄菓子やに卵を買いに行き帰りに雪で滑ってハトロン紙の袋の卵を割ってしまった記憶。

帰ってみせると父母がニコニコと笑ったこと。
 
 
4.小学校入学式の頃家でランドセルをしょっていると父と仕事をしているOさんがやって来て、

「洋一、ランドセルがあるいとるみたいやなぁw」

と冗談を言われたこと。

unnamed6(米田組社員旅行 中央の目を閉じているのがOさん)
 
 
 
諸々、幼少時から自分をそだててくれた両親、叔父や親族、Oさん等との一つ一つの光景がとても懐かしいです。
 
 
 

今年の春

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心待ちにしていた三月になりとても嬉しいです。

毎年、寒の厳しい間は

「もう一月で三月や・・・。春が来るw」

「厄神さんが来たら寒も終わりやし・・・。」(厄神さんのお祭りの頃に雪が多い)

等と春を心待ちにしていました。

 
昨日は雨の中、内田町の分譲地で1棟目の地鎮祭を行いました。

お客様を待っている間、一宮神社さんの宮司様と厄神さんの話していました。

「高良厄除神社というらしいですね。今年は会社に年男が何人かいて参ったようです・・・。」

「厄神さんは旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうのかみ)を裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)が断りと兄・蘇民将来(そみんしょうらい)が貧しいながらももてなしたという故事から来ています・・・。武塔神は疫病を避けることができる神様で・・・。」(宮司さん)

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お客様がおみえになる。

若いご夫婦と3歳ぐらいの女の子。

無事地鎮祭を済ませ帰られる。

帰り際、女の子とハイタッチw

前回の着工式で、私と大分カラーボールやサッカーボールを投げっこした仲。

最初は私に対して無言だったが、・・・時間がたつにつれ思い出してくれたのかも・・・w
  
 
最近は着工式で子供さんと遊ぶことが多い。

ご両親には担当者が図面の説明等している。

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私のパターンとしては・・・、

1.おもむろに社長室の横から、インデイアン?のテントを持ってくる。 (序)

2.子供さんはやはり興味があるらしく、直ぐにテントに入られる。

3.おもむろにカラーボールをテントに投げる。     (破)

4.いつの間にかカラーボールの投げ合いになる。    (急)

先日も1歳4ヶ月の女の子とカラーボールの投げっこが始まる。

だんだんテンションが上がってきて社長室の会議テーブルを挟んで相手に向かって転がしっこ。

キラキラとした顔で笑ってくれるw

帰りのお見送りの時は勿論、車中からハイタッチの連続。(祝言)

とても幸せな気分になるw

(括弧書きは世阿弥の能楽論から?)
 
 
 
先日お昼に家によると、なにやら子供さんのおもちゃやリュック、水筒が居間に置いてある?

「はは~ん・・・、子供さんをあずかっているんやな・・・。」(微笑)

じゃましたらいかんので出かけようとすると、家内が3歳ぐらいの男の子の手を引いて公園から帰ってくる。

「ご飯たべていき。」

とのことで○平君と一緒に食事w

とても愛らしい。

私の前でお母さんが作ってくれたとても可愛らしいキャラ弁を食べられる。

いろいろと話してくれるw

「またおいでよ○平君」

と頭を撫でて家を出る。

先日からファミリーサポート事業の手伝いを我が家でやっています。
 
 
子供さんとご一緒することの多い今年の春です。
 
 
 
 
 
引いてやる 子の手のぬくき 朧かな
               (中村汀女)