路上にて

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秋も深まって参りました。

天高く馬肥ゆる秋ですね。

今、我が家の菩提寺で墓地の法面の崩壊対策のコンクリート吹き付け工事をさせて頂いており、たまに現場に立ち寄ります。

ついでにお墓のお花の水を替えようとしたら昨日は左右の花入にカエルが居りました。先週行った時にも1匹居りましたので常駐しているのでしょうか?

 

 

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某日朝方に川北の西部開発の原石の掘削地に向かいました。

広域農道を走っておりますとセンターラインのところに「!」。

何やら蠢いていました。

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亀でした。

Uターンして車に載せて、言って聞かせて?近くの小川に放流しました。

 

 

 

某日1930頃会社の帰りがけに小学校の近所で自転車を僅かづつ押しながら歩くお婆さんに遭遇。周りはとっぷり暮れており、余りに小刻みな歩みに不審に思い声をお掛けしました。

「足首が悪うて・・・・。」みたいなお話でした。

駅前まで買い物に行かれて△△丘まで帰られる途上でした。

自転車の前後の荷台に積んである荷物を車に移し、ご本人さんは後部座席に乗って頂きました。自転車はトランクに半分入れた状態になりました。(扉を閉めていないため、警告音がずっと鳴る。。)

 

・・・ここからが家探しの始まりでした。

「××マンション」との事でしたが、暗いため仲々判らず往生しました。

 

「暗いし何処か判らんわ。。住所も番地までは判らん。。」

「買い物はいつも慣れた駅前まで行く。慣れたところが良い。人に迷惑かけたないし、自分で行く。・・今晩は一晩かけても歩いて帰るつもりやった。」

「お婆さん、荷物の中に自分の住所のわかるもの有りませんか?」

 

やっと郵便物が出てきて、カーナビやiPadminiで検索。出てこない。会社に電話をかけて探してもらい×××マンションに到着。

部屋まで荷物を運び、自転車をお持ちする。

帰ろうとすると

 

「あんたビール飲むか?」

「飲みます。」

 

奥に入って6本入りのビールを持って来られる。

 

「1本だけ頂きます。」

「そんなこと言うもんやない。」(-_-)

「盆暮れになったら送ってくるので・・・。また足りん様になったら何時でも取りにおいで。」

 

 

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ふじの山

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土日を利用して会社の仲間総勢13名で富士山登山の弾丸ツアーをしてきました。

900頃に京都駅前発のツアーバスに乗り込む。

3席独立の長距離バスで楽珍そうでした。
 

が、・・・・!

高速に入っていきなり私の座っていた後部座席あたりで

「ガクン!」

という鈍い音。。

エアーサスペンションの一部が破裂。

第二東名の御在所SA(三重県)で大阪からの代替バス待ちで2時間の遅れ。
 

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気を取り直して一路、富士スバルライン5合目を目指す。

浜名湖の手前の三ヶ日から北へ向かい第二東名で浜松北~新富士まで設計速度120km、トンネル断面の大きい道路をストレス無くとばす。
 
 

だんだん富士山がみえてくる。
 

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ようよう1800頃(予定より1時間遅れ)に富士スバルライン5合目標高2,300mに到着。

いそいで着替え、夕食を済ます。
 
 

早速1900に2班に分かれて出発。(屋久島ツアーの班分けを踏襲)

(登り8合目の山小屋白雲荘まで5時間、仮眠後登頂まで3時間、下り4時間の予定。標高差約1,500m)
 

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だらだら道を6合目まで歩く。

まだ皆元気!
 

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六合目安全指導センターから地図を頂く。
 
 

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(黄色のルートを上り、波線のジグザグ道を降りてきます。)
 

センターの方から

「五合目からまだ標高差で80mしか登っていませんよ。」の声。

先はながい^^;
 

気を取り直して登る、登る。

天気予報は幸い日曜日の午前中まで晴れのち曇り。

気温は登るにつれどんどん下がる。

7合目あたりから順次山小屋が現れる。

高山病が心配。。

途中から溶岩の流れた後の岩場を登る。

両手のストックを仕舞い、両手でしがみつきながら登る。

四足(手)歩行か?

頭の上げ下げ都度にふらふらする。。
 
 

途中、鳥居荘まで来た時にもう1班が4つ下の7合目トモエ館に居る事を知る。

高山病、疲れなどでかなり難航していることを知る。

眼下をみると遠く6合目の安全指導センターの灯りが見える。

随分と上がってきたことに気づく。
 

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ようよう8合目の標高3,100mを過ぎ今夜のお宿白雲荘に到着。

時刻は24時。5時間かかったことになる。

白雲荘の前には煌々と灯りがつき多くの登山客でざわめいている。

直ちに朝の簡単な弁当をもらい2段の蚕棚のようなベットに潜り込む。

掛け布団は2人で1枚。

身体も汗で濡れているし、コンプレッションも履いているがお構いなく疲れで眠ろうとする。
 
 

1時間後M君に起こされる。

頂上付近の混雑を避けるため再度頂上に向け登攀を開始する。
 
5:09が前日の日の出故、その時刻が目標となる。

本八合目3,400mを過ぎ、再度ザラ場の坂道から足元の悪い岩場の登攀となる。

渋滞が甚だしい。

同じ班のメンバーともはぐれ、少しづつ登る。
 
 

上の方から拡声器で

「立ち止まらないでください。前ともっと詰めて詰めて。遅い人は左によって下さい。」

の連呼。

どんどん後続に抜かされる。

「もう15分ぐらいですよ!がんばって!」(拡声器)
 
 

頂上の鳥居が見えてくる。

ようようよろよろと鳥居をくぐった頃にざわめきが・・・!

ご来光らしい。
 

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頂上(標高3,776m)は登山客でごった返している。

それにしてもご来光が輝かしい。

充分に全身に光を浴びる。
 

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メンバーを探すが見つからない。。

そこへもう1班の女性3名と合流!

男性2名とも合流!

我が班のNさんは遅れていたメンバーと出会い感激して涙ぐんでいる。

同じ班の体調不良のメンバーを八合目の山小屋まで荷物を二人分背負いながらサポートし、その足で一睡もせずアニマルのような体力で我々に追いついたのでした。

仲間思いのメンバーに感激しました。
 

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(many photographs by Tomoyo Fuchikawa and Hiroyuki Murakami.)
 

全員で写真撮影もそこそこに直ぐに下り出す。

10時にはバスが出発するため4時間強かかるため時間に余裕はない。

帰りは鍵型のジグザク道のザラ場をひたすら下る。

しかし下り道からの下界の眺望は素晴らしい。
  

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延々と下り続け、人にどんどん追い抜かれ五合目の駐車場に着いたのはジャスト10時でした。

迎えのバスはすぐに到着しあっという間に山梨県の石和温泉に向かい入浴、バイキングの昼食となりました。

帰福は21時頃となりました。
 

・・・達成感もありましたが、富士山はやはり日本一だけあってかなり手ごわく感じました。

そういえば母も60才の頃に涼しい顔をして「お友達と登った。」と言っていたが・・・。

老若男女こぞって上がられており、いろんな外国の登山者の多さにも驚きました。

とても濃い二日間でした。
 
 

 
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・・・帰福後、

「あたまを雲の上に出し♪

 四方の山を 見おろして

かみなりさまを 下に聞く

 富士は日本一の山・・♪」

と口ずさみながら運転しております。
 
 
・・・結構、富士山のファンになったのかも・・(笑)

 

 
 
 

     

若い力

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8/1に来春の新卒入社予定者の内定式がありました。

8人が入社して頂くことになりました。

高等学校の新卒予定者は此れからの選考になります。

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これから1週間のインターンシップを経て来春入社して頂くこととなります。

今年は近年にない「売り手市場」の就職戦線でしたが無事弊社を選んでいただきました。

採用スタッフは感慨もひとしおですw

若い力に「乞うご期待!」ですね^ ^ 
 
 
 
 

盆休みに入る前の12日の夕刻リクレーション委員会主催のBBQ大会がありました。

社員49名家族29人の出席でした。

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毎年出会うちびっ子たちですがドンドン大きくなり名前も覚えきれなくなりました。

どんどんテーブルを廻り皆と話をしました。

会社のイベントにもしょっちゅう来ているのでお互い勝手知ったる仲ですw

四方山話の仲で

「将来ヨネダに入社したい」

と言う大層賢明なちびっ子も複数名おられましたw
 
 
 
途中にスイカ割り大会がありました。

小学校3年生で同じクラスに女の子2人男の子1人がそれぞれ社員の子弟です。

スイカ割りの都度クラスメートが

「右右、、、!左!一歩前!」

等とどんどんナビゲーションします。

(ア~、コレニハスイカモタマリマセン)

叩く前には竹で2、3回さわってから、息を整えて渾身の力で竹を振り落とします。

3人が同じ調子で順次叩き、最後に男の子が大玉のスイカを見事たたき割りました。
 
 
 
翌日まで考えてみましたが・・・・・・、叩く前に竹でスイカを触るのは来年はイエローカードにすべきでは・・・。。

若い力にたじたじになった社長はひそかに考えました。

ともかく早く餌を・・・。

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自宅で沢山のメダカの稚魚が孵化して嬉しい今日この頃です。

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母宅から貰い受けて、緋メダカと白メダカと分けて陶器の壺に入れて育てておりました。
 

最近は慣れてきて、私の姿を見ると一斉に浮上してきて上目遣いで

「どうしたん。どうしたん。今朝はおそいやん・・・。ともかく早く餌を入れとくれ。」

みたいな視線を感じるようになりました。
 

ある朝、白メダカの壺に稚魚が泳いでいるのに気づきました。

直ぐに別の藻を入れているバケツに移しました。

そこにも沢山の稚魚が孵化していました。

日々大きくなっていくのを見るのが楽しいですw

 
 
 
先日来、両丹日々新聞に鳥の消息を尋ねる広告が載っていました。

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鳥の行く末を案じられる広告主さんの優しいお気持ちが伝わってきます。

 
 
最近はお客様廻りをしていましたら、直ぐ近くの田の中でえさの小動物をあさっている鷺をよく見かけます。

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日中でも青空に向かって羽ばたく姿が優雅にみえます。

 
 
ある夜に会社の帰りに自転車を漕いでいたら、「ギャギャ!」と漆黒の暗闇の中から鳥の鳴き声が聞こえてきました。
 
「ふ~ん。何か僕へのメッセージやろか?」

と考えてしまいました。

大分以前に自宅で日曜の夜に机に向かい手紙を書いていましたら、「ホ~ホ~・・。」と暗闇の森の中から独り言のような鳴き声が聞こえてきました。

ペンを置いて、夜の静寂の中で感じ入りました。
  
 
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浜千鳥

1 青い月夜の浜辺には

  親を探して鳴く鳥が

  波の国から生まれ出る

  濡れた翼の銀の色

2 夜鳴く鳥の悲しさは

  親をたずねて海こえて

  月夜の国へ消えてゆく

  銀のつばさの浜千鳥

(作詞:鹿島鳴秋、作曲:弘田龍太郎)

 
 

 
 

屋久島ツアー

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日曜日から2泊3日で屋久島に行って来ました。

社内の研修旅行です。
  

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初日は海亀の産卵で有名な田代海岸で熱帯魚を見ました。
 

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ついつい海水パンツに履き替えて、枕状溶岩の上を靴下を履いて海に入りました。

熱帯魚の乱舞を見ました。

唖然と!社長を見下ろす社員たち。

多くのカメラの被写体となりました。

学生時代某大学水泳部のマネージャーのK女史から、

「後ろ足のブレストなかなか綺麗で良いですね^_^;」

とお褒めのお言葉を賜りました。
 
 

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翌日は旅の目的である縄文杉までの片道10.7km標高差680m往復11時間のトレッキング。
 
 

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前夜は寝不足に用心して宴会を切り上げ早めの就寝。

未明、ホテルのベランダから見上げる空の星のしじまの綺麗な事!!
 

 
455にホテルを出発して620頃荒川登山口から8.1kmにおよぶトロッコ道を歩き出しました。

ガイドさん曰く

「枕木に足をかけながら歩いて下さい。枕木の端部は苔で滑ったりするので乗らないようにして下さい。

今夜疲れてみる夢は枕木の夢になると思いますw」
 

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屋久杉の用材を運ぶトロッコ道を3時間ばかり歩きました。
 
 

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途中休憩を挟みながら、絶妙なツアーガイドさんと語らいながら歩く歩く。
 
 

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大株歩道入り口からいよいよ急勾配の登り縄文杉までの片道2.6km往復5時間の山歩きとなります。
 
 

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周りに高い山々が見えます。

なんでも、・・・九州の6番目くらいまでの高山は屋久島にあるとか。

暖かい海流の水蒸気が高い山々にあたり、月35日!らっきょののような大雨が降るそうです。

縄文杉のある高地ではなんと!年間1万mm雨が降るそうです。

当日は梅雨入りの前日で、奇跡的に終日爽やかな快晴でしたw

雨が多いために、苔が発達するそうです。

湿気が多いため杉花粉も飛ばないそうです。
 
 

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様々な形をした屋久杉がありました。
 

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途中昼食を食べて再度登りました。
 
 

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遂に1200過ぎに縄文杉に到達しました。

標高1,300m付近で樹齢7,200年(樹高25.3m、直径5.1m)とも言われるその威容は素晴らしいものでした。
 
 

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暫し撮影したり、展望台から眺めました。

早速1230頃から下りに入りました。
 
 

途中木霊に会いました。
 

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☆心の綺麗な方☆には見えるそうですw
 

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また、トロッコ道を歩く歩く。
 
 

 

imageimageimageimage(many photographs by Hiroyuki Murakami and others)
 

ようよう1720頃に帰還。
 
 

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とても疲れましたが、皆と仲良く登り達成感がありました。

雨具を新調しらっきょのような雨に備えましたが、考えられないくらいの快晴でビックリでした。

全てに感謝感謝です。
 
 

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