2025年1月16日
(舞台の写真は日本経済新聞2025/1/17より)
初春となりました。本年も宜しくお願い申し上げます。
お正月の3日は大阪の国立文楽劇場に文楽(人形浄瑠璃)を観に行ってきました。バスで難波OCATまで行けるのでとても楽ちんでした。
10時から初舞台のため、鏡割りがあったり振る舞い酒がありました。待ち時間にはお茶も用意されていました。お茶碗には文楽の人形が描かれていました。
出し物は
第1部 新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)
座摩社の段/野崎村の段
第2部 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
八段目 道行旅路の嫁入/九段目 雪転しの段/山科閑居の段
でした。
なんせ1100から休憩を挟みながら1700迄で椅子に長時間座りなかなかハードでした。事前にあらすじのも目を通しておく必要がありました。但し舞台上部には字幕が映し出され理解することができました。
人形の動きや太夫・三味線の語りはそれはそれは素晴らしいものがありました。人形はまるで生きているが如く人間の情念を描き出されていました。
今後近松門左衛門の「曽根崎心中」(文字を押すとリンクします)や「出世景清」「心中天網島」をぜひ観てみたいと思います。
実は以前に「心中天網島」の一部(遅れて行った)を見る機会がありました。どろどろした人間の情念が描かれており、日本にこんな奥の深い物語があったのかととても驚いたことがありました。
文楽に興味を持ったきっかけはずっと以前に読んだ「この国のかたち」司馬遼太郎著の中に
8、日本の「近代」
忠臣蔵 の芝居、講釈 播州浅野家の若殿、高家(儀典課長)の吉良にいじめられる。浅野家大慌てで江戸中の畳屋に頼んで間に合わせる 江戸経済の実力
赤穂 赤穂塩 全国に流通
識字率 世界一 農村、町方の子供 奉公した時に帳つけ
大坂、江戸 劇場が栄え相撲が常態的に興行 大衆の木戸銭
商品経済の世界 義によって赤穂塩買わない × 朱子学の思弁性(純粋な論理的思考だけで物事を認識)
「中世」 人々はぶどうの房、一族ぶら下がる → 「近代」 商品経済の発達 全て個人が矢面
徳川幕府 朱子学を官学 但し多様な思想 荻生徂徠、伊藤仁斎 空論性を攻撃
徂徠における実証主義 「朱子学は憶測にもとづく虚妄の説にすぎない」
江戸期の思想に好影響
荻生徂徠 中国の儒教学説信ぜず、モノ、コトを合理的に見直す。新しい儒教学説
安藤昌益 太平洋航路をつたい南部藩に入った商品経済が金貸しを産む。
自給自足の農民が落ちぶれていく。社会の仕組みを腑分け。
三浦梅園 自然の中に条理「法則を見出す」弁証法的論理学
富永仲基(大坂醤油問屋の息子) 仏教を人文科学的な冷徹な態度で考察
「法華経、阿弥陀経」などの大乗仏教 釈迦以後五百年経って誰かの創作(出定後語)
山片蟠桃(やまがたばんどう)大坂の大名金融問屋番頭
中世以来の固定概念 モノ、コト科学的検証、細片まで秤にかけた。一切の神秘主義排し、鬼神は存在しない無鬼論。「夢の代(しろ)」
(注:富永・山片とも大坂町人・大坂商人の学塾である懐徳堂で朱子学や儒学を学ぶ。富永の父は懐徳塾・後の大阪大学の前身、の出資者の一人)
10、浄瑠璃記
高田屋嘉兵衛
千島沖露軍艦に拉致
運命を甘受、主人公へ。
露人 「魂の輝き」を感じる。将官として礼遇
リコルド少佐 救出途中の日本船 高田屋嘉兵衛
拉致を奇貨として日露の紛争解決をはかる。
一私人として日露外交
露 操船技術、人の明るさに魅了
嘉兵衛 浄瑠璃本 身辺から離さない 詩藻与えただけでなく心胆を練らせた
曽根崎心中 徳兵衛 「あいつも男を磨く奴」
在所から都市に出てきて一人前になるには個人的な修行が必要。個人的な信用。江戸期は町人が男を磨いていた
嘉兵衛 マストに登り脇差を抜いて「イコルツよ(リコルド)、もはやわしの面目はつぶれ、事もおわった。お前の命まではもうしうけぬが、一太刀だけむくいさせよ。その上にて、わしは腹を切るわい。」
劇的行動 血肉の中にある近松の「出世景清」※の景清がそうさせたかもしれない。
江戸期 武士は謡曲、町人は浄瑠璃が嗜み。日本語を磨く。
(「この国のかたち」司馬遼太郎著から要約)
(※出世景清 平家滅亡後も生き延びて源頼朝を討ち滅ぼそうとする悪七兵衛景清の苦悩を描く。景清は『平家物語』や能楽、幸若舞でも取り上げられた題材。近松はそこから悲劇的な葛藤をとりだして、人間性豊かなドラマに仕立てた)
のようなことが書かれてあり頭の隅にありました。
また、たまたま読んだ先日亡くなられた松岡正剛氏の千夜千冊に「出定後語」(1806夜)の項に
【上方の異端力】・・・帝塚山学院大学の人間文化学部で教えていたころ、大阪の某所で「関西の知」をあれこれ話してみたことがありました。「上方伝法塾」として、・・・近松の浄瑠璃と蕪村の俳句、清沢満之の改革とプラトン社の出版方針などにまつわる話を順にしたのですが、なかで懐徳堂と適塾、ならびに富永仲基と山片蟠桃(やまがたばんとう)のことを「あれは江戸や京都では生まれません」と強調しておいたものです。
知の編集にはその土地や風土のトポスと、言葉づかいのクセとが深く関係しています。これを無視しては知や思想の特色はつかめません。「関西の知」にもそこが微妙に投影していて、そこを読みちがえると当たり前の学術観しか手にのこらない、なかでも奈良・近江・京都・摂津(大阪)・播磨(兵庫)・伊勢などの違いはとてもたいせつなもので、たとえば近松(974夜)や西鶴(648夜)や木村蒹葭堂(1129夜)のセンスは大坂でしか生まれない。かれらは大坂の知を活した逸材なのですね。学び方そのものではなく、学びの博め方がちがっているんです。
五同志の町人たちが基金を出しあった懐徳堂もそのひとつで、とうていほかの地域では誕生しなかった学校です。4代学主の中井竹山、5代の中井履軒のころが絶頂期で、江戸の昌平坂学問所とはまったく異なる人材を輩出しています。『夢の代』を著して格物致知を踏査した山片蟠桃、『三貨図彙』で日本貨幣史にとりくんだ草間直方など、とびきりです。そういう渦中に仲基が登場します・・・
(https://1000ya.isis.ne.jp/1806.htmlから引用)
と書かれてありました。
こんな事を読んで二つの文章がひっついてきました。江戸期の成熟した上方の文化に少し興味を持ちました。そんな延長線で文楽をおっかなびっくり見に行った次第。
帰りに難波で食事をして帰ろうと思い遅い便のバスを予約していましたが、ぐったり疲れて早いバスで帰福しました。
丁度江戸時代の希代のメデイアのネットワーカー蔦屋重三郎のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」も始まったので楽しんでみたいと思いますw