春とはいえ、淡雪降りしきる夜、送別の宴が開かれました。
○淵課長の挨拶。
「・・・芦○さんは第二の人生を福知山の仙人として暮らされるそうです・・・(笑)」
仙人になる予定?・・・の芦○さんの挨拶。
「建築よりリフォーム事業部に移り10年余り・・・、お客様と直接触れ合うことにより、人間勉強をさせて頂きました・・・。『感謝』『感謝』の一言に尽きます。」
和気あいあいと、皆で別れを惜しみました。
最近、塩野七生さんの本に凝っています。
「ローマ人の物語」に続き「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」を愉しく読んでいます。
海洋都市国家ヴェネツィアが、資源も何もない中、大航海時代を前に、ライバルジェノバとつばぜり合いをしながら、やがて宿敵トルコと対峙し、交易国としての覇を唱えた一千年間歴史を描いています。
ヴェネツィアの男達は、ヴェネツィアという都市国家の共同体の為に、存亡をかけて人智をを結集し、千年という長き歴史を刻みました。
アドリア海に海の高速道路網なるものを整備し、交易にいそしみ、いざ事あれば、軍務に就く貿易商人達。
表紙の絵について、塩野は言う。
・・・この巻で紹介するのは「手袋をもった男」という題でしか知られていないが、おそらくは三十代と思われるヴェネツィア男の肖像。肖像画家としては最高とされたテッツィアーノの作品の中でも一、二を争うと思われる傑作だが、何を仕事にしていたのだろうかと、見るたびに好奇心を刺激される作である・・・
並行して、「我が友マキャヴェッリ フィレンツェ存亡」も読み始めました。
近代政治学の古典「君主論」の作者として有名です。
16世紀のフィレンツエ共和国に生まれ、書記官として共和国の歴代の権力者に仕え、その素顔間近に見て政治と統治の本質を思索した文筆家。
母国の存亡をかけ、第二書記官として東奔西走し、ついには書記官(日本の官房副長官くらい?)の職を四十四歳の若さで解かれる。隠遁し、「君主論」を記す。
隠遁後の友人への手紙
「・・・ここでは、日の出と共に起き、森に行く。そこでは樹を切らせているからだ。森には、二時間いる。これまでの仕事を再検討したり、作業夫たちと過ごす・・・
・・・その後で道にもどって居酒屋に行く。そこでは旅人と話す。彼らの国の新しい出来事をたずねたり、彼らの口からもたらされる情報に耳をかたむけたりする・・・
・・・そんなことをして過ごすうちに、昼食の時刻となる。家に帰り、家族と卓を囲み、この貧しい山荘とわずかな財産が許してくれる、食事をとる。
・・・食事が終わると居酒屋にもどる。・・・この連中と一緒に、わたしはその日の終わりまで、クリッカかトリッケ・トラックをしながら、ならず者になって過ごす。カードやサイコロがとび交う間というもの、一千の争いが生まれ、罵詈雑言が吐かれ、考えうるかぎりの意地悪がなされる。ほとんど毎回金を賭けているから、われわれのあげる蛮声は、サン・カシアーノの村までとどくほどだ・・・
・・・夜がくると、家にもどる。そして、書斎に入る。入る前に、泥やなにかで汚れた毎日の服を脱ぎ、官服に身に着ける。
礼儀をわきまえた服装に身をととのえてから、古(いにしえ)の人々のいる、古(いにしえ)のと宮廷に参上する。そこでは、わたしは、彼らから親切にむかえられ、あの食物、わたしだけのための、そのために、わたしは生をうけた、食物を食すのだ。そこでのわたしは、恥ずかしがりもせずに彼らと話し、彼らの行為の理由をたずねる。彼らも人間らしさをあらわににして答えてくれる。
四時間というもの、まったくたいくつを感じさせない。全ての苦悩は忘れ、貧乏も恐れなくなり、死への恐怖を感じなくなる。彼らの世界に、全身全霊で移り棲んでしまうからだ・・・
ダンテの詩句ではないが、聴いたことも、考え、そしてまとめることをしないかぎり、シェンツァ(サイエンス)とはならないから、わたしも、彼らとの対話を『君主論』と題した小論文にまとめてみることにした。そこで、わたしは、できるかぎり、この主題を追求し、分析しようと試みている。
君主国とは、なんであるのか。どのような種類があるのか。どうすれば、獲得できるのか。どうすれば保持できるのか。なぜ、失うのか・・・」
冒頭に塩野は言う。
・・・ここで、十五年来の私の疑問を披露する気になった。というのはマキャヴェッリは、飲める口であったかどうか、ということである。
彼の著作のどこを探しても、手紙も眼を皿のようにして読んでも、酔っぱらったとか飲みすぎたとか記した箇所はないのである。
・・・母方の財産であったらしいこのセカンドハウスは、上質な酒の産地のまっただ中にある。そして、ここがもっとも疑問なところなのだが、体質的に酒をうけつけない男に、あのクールにして燃えるような文体をつくりだせるものであろうか・・・
・・・少し読んだだけで、どんどんひきこまれていきます(微笑)
未曾有の被害に心を痛めております。
なくなられた方に心よりお悔やみ申し上げますととも被災者の方に心よりお見舞い申し上げます。
復興に向け、私共で出来る限りのことをしたい思います。
長男が仙台に赴任しており、被災し(電気・水道・ガスが入らない)小学校に避難しております。
次男も先月15日からニュージーランドにサイクリングクラブの合宿に行っております。下見ランで被災地のクライストチャーチ近郊におり、当日上気した声で
「大変なことになっている・・。明朝のクイーンズタウン行き(合宿出発地)のシャトルバスが運行されるか調べてほしい。合宿に間に合わないかもしれんので部員に連絡してほしい。」との電話。
バス会社のHPの日本語翻訳やバス会社への日本からの電話・メールにより、すったもんだの挙句、出発時間と出発場所の変更が判明。無事乗車しました。
帰国子女のU嬢に助けて頂きました。(感謝)
状況を鑑み、合宿は中止となりましたが、仲間と南島を走ったようです。
途中、電話があり携帯電話を紛失したそうです。、現在は一人で北島を走っております。
・・・今度は日本の地震。津波がニュージーランドに行くようで、次男に連絡を取りたいが・・・・・。。大層心配しました。
インターネットの翻訳機能でNZ内のニュースや津波が何時に何処何処に来るかも簡単に知ることが出来ました。
昨日無事の電話がありました。15日には帰国との事。
復興に向けて一歩一歩、皆の力を結集しましょう。
Hi
No worries please you son made it to the bus.
Cheers
Lynette
バス会社窓口のLynetteさんからのメール