香ばしい時間

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謹賀新年。本年も宜しくお願い申し上げます。

 お正月休みの間一度読んだ「フラジャイル 弱さからの出発」松岡正剛著をゆっくり読み返しておりました。その連想ゲームから「少年の憂鬱」松岡正剛著、「幼なごころ」ヴァレリー・ラルボー著にいきつきました。

 

 

 ・・・八月の空の下、庭のはずれから畑が広がっている。まずは平に広がり、ついで正面の丘を登っていくのだが、そちらの方角の視野はその丘で閉ざされている。丘の背に一軒の農家、褐色の屋根の、白く長い建物。白い空を背景に、その農家は本の挿絵のように小さく見える。

 「あの農家は私の領地の外になっていましてね」ラビー氏は客たちに言う。彼は謙遜している。ー人は何もかも所有するわけにはいかない。

小作人のドヴァンセがげらげらと笑う。そしてごっつい指をしょっちゅう口にあてながら喋る。その仕草が彼の口ぶりに重みをつける。

「・・・ラビーの旦那がその気になりゃ、あんなものいつだってものにできますよ。なにしろあの暮らしぶりじゃ。冬はムーランでの賭け事。夏になればリーブクレーブで、こう言っちゃなんだか、もっぱら女遊び。ラビーの旦那、何も急ぐことはありゃしません。二年もしないうちに、パンの一切れもやれば、みんな旦那のものになりますよ」「なにもかも抵当に入っているという話だ」ラビー氏はつぶやく。

 八月の二十九日で八つになるエミール・ラビー、その後日付が人生に大変化をもたらすはずだと信じ込んで指折り数えているエミール・ラビー➖愛称《ミルー》が、ドヴァンセに話しかける。

「いいかい!あの農家は来週ぼくがのくのぼくのお金で買い取るんだ。ぼくは大人になるんだから!」

 自分の言ったことを誰ひとり気にも止めないのでミルーはいらいらし、ドヴァンセの声にかっとする。ぽってりした赤ら顔の、この鈍重な男が大嫌いなのだ。こいつをののしってやろうと思って言葉を探す。しかし適当な言葉が見つからない。ドヴァンセの鈍重さとまわりを飛び交う言葉の言葉の重々しさに圧し潰されそうだ。あんな話はちんぷんかんぷんだ。儲けだの損だの・・・。ああ!すべてに絶望したまさにその瞬間に、彼は見つけるー

「ぼくはね、大きくなったらグルネの息子とおなじことをやるんだ。何もかも食いつぶしてやる!麦藁の上で死ぬんだ!」・・・

 ・・・それにしてもパパやママの友達ってどうして訳のわからない醜い話ばっかりするんだろう?家畜だの賃貸だの用益権だの契約だの抵当だの。それに大人たちがそういう言葉を口にするときの独特な口ぶりときたら!ミルーはお偉方にビンタを食らわせたくなる・・・用益権(ユズユフリイ)は、草の上に落ちてしわしわになって割れて、十一月の雨に打たれて腐ったリンゴだ。抵当(イポテーク)は、白い家の正面に組まれた、真っ黒なおぞましい足場・・・

 大人の話に耳を貸すのはもうやめようとミルーは決心する。自分の腰かけているベンチの上で少し後ずさりして、ダンパとちっちゃなローズのための席を作る。ふたりは目に見える存在ではないが、ドヴァンセだのパパの友達だのにくらべれば、はるかに関心を注ぐに値する。

 ダンパはミルーの親友であり兄弟だというだけでは足らない。彼はミルー自身なのだ。ただ、目に見えず大人になっている。つまり現実から解放され、未来に投影された彼自身だ。ダンパは、地図にのっているあらゆる国、ガリニエ中佐の本に描かれたすべての国を歩きまわる。(ミルーはジュール・ヴェルヌが嫌いだ、だって本当に起こったことじゃないんだもん。)ダンパは行動人だ。白いヘルメットをかぶって。フータ・ジャロンを突き進む。ブー族やトウークルール族の国々を訪れる。セネガルの原住民やセネガルの狙撃兵からなる少人数の護衛をしたがえて、蒸気機関つきのボートでニジェール河の流れをさかのぼるのがもう四回も見られた・・・

 ・・ちっちゃなローズは(ミルーとほぼおない年で)アラブ人が報復のために両親からさらった子供だ。彼女はアラブ人の小屋から逃げ出したのだが、フランス軍の野営地の近くまで来たとき、歩哨が発砲したため気を失って倒れ、腕を折ったのだ。明るい金髪でとても優しい。(去年の夏にミルーがリーブクレールの子供舞踏会で見かけたスウェーデンの女の子に少し似ている。)彼女はまだ腕の骨折に苦しんでいる。しかしミルーとダンパが引き取って保護しているから、もうほとんど不幸ではない・・・
(「幼なごころ 『包丁』」 ヴァレリー・ラルボー著 岩崎力訳より)

 ヴァレリー・ラルボーの類稀な知性と香気が伝わってきます。言葉を紡ぐ達人かと思われます。ラルボーは各国語に通暁した語学の天才であったそうです。たとえばジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」のフランス語訳はラルボーの仕事でした。(ラルボーは、貧窮のジョイスに自分の留守中のパリの自宅を無償で提供しました。)語学の達人でありながらほどよい抑制が効いており、ありのままに描写されております。日本で言えば私の好きな「銀の匙」中勘介著でありましょうか?
 
 ・・・一連の本を読んで感じることは自分の内記6丁目時代(幼稚園〜小六)まではやはり特別の香ばしい独特の時間であったかと思います。いまだに内記6丁目時代の幼馴染(一人は物故)とは仲良くしています。

・・・雪の後、二日連続二人でかまくらを作って相方のスコップが私の鼻柱に二日連続当たって病院に行き母に厳しく叱られた事、夏休みに毎日相方が家に来て自分の兄弟と二階で押し入れで影絵をやって蝋燭が倒れ危うく火災になりかけた。父が帰ってきて相方も含めて正座で叱られた事、淳明小の間の空き地にビー玉の「天国と地獄」の穴に瓶を仕込み幼馴染が「ビー玉の全部取り」の期待でご満悦であった事、両方に家が建て込む路地がありお互いの家の中が筒抜けであり向かいの奥さんが夫婦仲の事で幼馴染の母に泣きついてこられた事、夏休みは三輪車で兄弟も含めて家の周りのワンブロックを一周して競争した事、夏休みのラジオ体操で調子に乗って幼馴染と前に出て三人の指揮者よろしくラジオ体操をしたら唐突に父が苦虫を噛み潰した顔で来た事等々・・・。香ばしい独特の時間であったと今更ながら思い返します。
 
 
 
 

初冬

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朝夕は随分と寒くなってまいりました。
 


 

関連会社の砂利採取業の西部開発では中地区で渇水期の砂利採取事業が始まりました。同地区での5期目の事業になるために準備が着々と進んでいきます。
 
 
合間にちょこちょことヨネダの現場に行っており繁忙期といった感じです。朝起きて頭にフラグの立つ現場に行きます。(写真は東住吉区の泉州屋様の冷蔵倉庫の現場)
 

 
秋も深まり様々な行事がありました。
 
 

 
 
リフォーム事業部篠山店のM君の婚礼にも神戸まで行ってきました。弊社を退職した彼の同期も駆けつけてくれ5人が全員揃いました。(写真はM君主催のM会幹部の面々)彼の面倒見の良いお人柄を感じさせられる披露宴となりました。
 
 
過日2005年に参加させて頂いた勉強会の同窓会にも参加しました。翌朝も早朝から会議があったために京都へトンボ帰りの参加になりました。早い目に行って主催会社のT先生のおられる事務所で5名ぐらいの仲間で久闊を叙しました。老香港酒家までインバウンドで活気のある京都の裏通りの夜道を歩いて行きました。
 

 
道中には江戸時代から続く弓を作られる工房があったり、路地裏に工夫を凝らした洒落た飲食店もちらほら見かけられました。京都の魅力といった感じでした。

 
KOKON KARASUMAの地下にお店があり美味な香港料理に舌鼓をうちました。仲間の経営者の旧知の料理店でした。皆さんのDeepな?近況もお聴きしました。
 


 

・・・しかし・・・経営者同士の同窓会が18年もよく続いています・・。

頼山陽

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関連会社の砂利採取業の西部開発の社員旅行で博多、長崎に行ってきました。
 


 

二日目の長崎では軍艦島にも行ってきました。

ガイドさんの案内がとても良く、いきいきと当時の採炭の様子を話していただきました。
 

夜は宿からタクシーで小高い山の中腹を越えて茂木というところまで行き、歴史のある活魚料理の料亭に連れて行っていただきました。

湾を目の前に臨む素晴らしい場所でした。(・・後で判ったのですが天草の対岸でした。)
 


 

伊勢海老の活き造りや鮑を前に皆テンションが上がっている頃、隣に座っていた工場長代理のT君が何やら箸袋の裏の文章を訥々と声を出して読んでいました。

「・・・くもかやまかごえつか すいてんほうふつせいいっぱつ ばんりふねをはくすあまくさなだ けむりはほうそうによこたわってひょうやとぼっす べっけんすたいぎょのはかんにおどるを・・・」

「!」ときて、箸袋の裏を読むと頼山陽の「泊天草洋」という詩でありました。
 


 
 

泊天草洋

雲耶山耶呉耶越
水天髣髴青一髪
萬里泊舟天草洋
煙横篷窗日漸没
瞥見大魚波間跳
太白當船明似月

遠くに見えるのは、雲だろうか、山だろうか、それとも呉の地だろうか、越の地か。
水平線との境に、髪の毛のような青い一筋が連なっているのがみえる。
万里の彼方に広がる天草洋に舟を泊めて、夕もやが舟の小窓あたりにたなびいて、太陽はしだいに西の海に沈んでいく。
一瞬、波間に大きな魚がびとび跳ねるのが見えた。
空には、宵の明星の金星の光が舟にあたり、それは月の輝きのように明るかった。
                                    「頼山陽詩選」より

 

・・・以前に天草を旅した折にふと「天草、あまくさ、Amakusa・・・?」と頭に浮かび「頼山陽詩選」という本にあったこの詩を思い出したことがありました。

頼山陽は江戸時代に「日本外史」を現した歴史家です。この地へ来ると何故か頼山陽に縁があるのが不思議です。

夜は皆でカラオケに行き楽しい夜を過ごしました。
 

心ばかりの・・

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先日妹夫婦に出会いました。

名古屋在住です。

その時、小さな紙袋にお土産を貰いました。

魚肉ソーセージとういろう2種類でした。ういろうの一つは生ういろうでとても美味しかったです。

しかし・・・この組み合わせは・・なかなか洒落ているように感じました。
 
 
母の法要もあったために久方ぶりに出会う機会も多かったです。

彼女の娘のAちゃんは今年就職して弊社の名古屋支店の近所の橋梁メーカーに勤めています。

歩いて10分ぐらいの距離だそうです。

「どんな仕事しとるん?」

「・・・この間、安全大会の表彰状運びをした・・・w」

との事でありました。

恥ずかしそうに話してくれました。

長旅

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暑さの残る週末に埼玉県の某市に行ってきました。

寮生活や下宿生活を送った高校時代、スキー部に所属して永年薫陶を受けた顧問の恩師の米寿祝いに参加するためでした。都合12名が集まり先生のお元気な間に一堂にかいせて良かったです。
 


 

先生にも朗々とご指導いただいた時代のお話をして頂き、「虹と雪のバラード」「雪は降る」などウクレレを伴奏しながらお得意の唄をご披露いただき大いに盛り上がりました。

仲間と出会ったのは15歳の時でかれこれ50年経った事になります。学校の最寄駅も入学した頃は空き地に柵がしてあり、郊外らしく遠くから家具屋の「ドンジャラ島忠・・、島忠家具センター〜♪」という曲が繰り返し流れておりました。駅前は量販店やマンションが林立し都会の郊外都市といった趣でした。

驚いたのは同級生から何度も「よねだ〜❗️お前若いな〜。あの頃と全然変わらんやん。・・・その髪の毛自分の毛か?染めてないんか〜?」

「染めてないで・・・。うん。日常生活にはさまざまな問題が出てきてるけどな・・・。。」

「・・・。」

・・・(後ろから私を見て)「よねだ〜❗️歩くのまで昔のままや❗️」

と強く何回も言われた事でした。
 
 
・・・当日は都心のホテルに1泊し翌日はのんびりと美術館にでも行って帰る予定でした。ところがホテルのエアコンの音が随分とうるさく感じられ、早く床についたせいもありよく眠れませんでした。予定を変更して早朝に新幹線に乗り自宅に戻りました。

新幹線車中、手帳を出して簡単に日記のようなものを書き、本を読んだり、駅弁を食べたりして過ごしました。京都駅ではコンコースのパン屋(非常に繁盛しており創業者は私が育った北小谷ヶ丘のお向かいの家の息子さん。フランスに行かれて修行され大成功されました)でフランスパンのバゲットを幾つか買いました。山陰線では、外国のカップルのツーリストの方が私の席に座っておられたので、

「シートリザベーションガイリマスヨ。ホカノセキニスワッテクダサイ。ノープロブレムデス。コンダクターガキタラリョウキンヲハラッタライイデスヨ」と伝えました。

「ありがとうございます。」(日本語)

福知山駅で下車する時に

「ドコマデイカレマスカ?」

「きのさき」

「ムカイノホームノデンシャニノッタライイデスヨ」

「ありがとうござます」

・・・自宅に帰る迎えの車中で荷物置きの棚にバゲット🥖忘れた事を思い出しました。すぐ駅にとって返して駅の窓口に行きました。すでにバゲット🥖の入った袋やスーツケース、運動靴一足などが届いてました。テキパキとして手続きをして頂いて自宅に帰りました。

・・・以前山陰線で本を車中に忘れたり、京都駅のみどりの窓口で紙袋に入ったジャケットを置き忘れたりして後日福知山駅や京都駅で回収した事があったので「JR西日本」の忘れ物復元力❗️には全幅の信頼をおいておりました。・・ただ生物?なので少し心配しました。

・・・その日の午後に仕事の手帳を探そうとしたら見当たりません。。どうやら新幹線車中に忘れてきたようです。駅弁を食べる時に座席の裏の網かごに入れたようです。雑誌も入っておりその裏に入れた気がします。「一仕事一確認だよ・・😟」・・家内には呆れられながら、少し慌ててJR東海のHPをあけ、 web上で問い合わせしました。(4時間以内に確認メールが来なければ電話して下さいと親切に書かれていました)。すぐにメール返信がありました。翌朝には三田市で住宅の地鎮祭の設営をしていましたが直接telがあり「届いていない」旨の連絡がありました。「数日後に届くこともあるので数日後電話して下さい」との事でした。直ぐに問い合わせ窓口に電話をして再度座席と置いた状況の説明を口頭でしました。

数日後、問い合わせ窓口に祈るような気持ちで電話をしました。随分と待たされた後、窓口の女性から「お探しの手帳は新大阪駅にあるようです。お名前や携帯電話の番号も書いてあり貴方のものと確認できると思います。何時間以内に新大阪駅から電話がいきますので受け取り方を相談して下さい。」

「JR西日本、JR東海・・・恐るべし❗️」ですね。びっくりするサービスかと思います。脱帽しました。有難うございました。

直ぐに家内にLineしました。

「長旅やったね〜」

「可愛い手帳には旅をさせよ…?」