社長ブログ

う~ん??

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本を読んでいる最中に「う~ん・・・??」と考え込む。

本は「日本開国  アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由」渡辺惣樹著です。

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「10 富士は見えたか

迎える富士

 日本をしばらく離れて暮らしていると、帰国の機内から富士の姿が見えてくるとほっとします。見慣れたはずの富士・・・・

 何日もかかった船旅の時代では、この感情はなおさらだったでしょう。旅人が海上から山の頂を目にする距離を計算する便利な公式があります。

(√H+√h)×2.083=M

 H=山の高さ h=旅人の目の高さ M=山の頂が見え始める距離です。単位はHとhはメートル、Mが海里(約1.85km)です。

 船上に立つ旅人の目の位置の高さを10メートルとすれば、

(√3776+√10)×2.083×1.85=249

となります。富士山からおよそ250キロメートル圏内に入ると、その頂が姿を現し始めます。」
 

・・・早速簡単な絵を描いて公式を理解しようとする・・・。。

・・・理解出来ない??
 
 
 
ずーっと気になる。
 
 

数日後、インターネットを使って解き方を探す・・。

簡単な考え方が書いてありました。

ピタゴラスの定理を使って

(地球の半径+富士山の高さ)2乗=地球の半径2乗+富士山からの距離Xの2乗

だそうです。地球の半径=6,400kmとします。富士山の高さ=3776m。富士山からの距離=X。

(6400+3.776)2乗=(6400)2乗+Xの2乗

X=√(6403.776の2乗-6400の2乗)

X=220KM

・・・ちょっと胸のつかえがおりましたw

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ちなみに身長150CMの人が水平線を見える距離は4KMだそうです。

私が計算すると、3.24KMの答えが出てきました。
 
 
・・・妙な事が気になります(笑)

 

抒情(じょじょう)歌

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高校のスキー部の恩師より手紙を頂く。

現在は関東の某市で小学校の特別支援学級のアドバイサーをしておられます。

夏休みは小学校で泳げない子供に水泳を教えたりされています。(写真が週刊誌に載りました。)
 
 
趣味がマウスピースのような小さなハーモニカでいろいろな曲をひかれることです。

手紙の中に「第9回ミニミニ・コンサート」さくら組(ごっち押し付けコンサート)なるものが同封されていました。

その中に
 

「しかられて・日本の抒情歌」

にほんで、もっともよくうたわれているうたです

浜千鳥とともに、日本を代表する抒情歌・民謡を思わせる旋律・・・

 
 
とありました。

私も「浜千鳥」という歌がとても好きです。

唱歌で「花」という歌も好きです。
 

恩師も同じ好みで思わず微笑ました。
 
 
 
浜千鳥

 
青い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれでる
濡(ぬ)れたつばさの 銀の色
 
夜鳴く鳥の 悲しさは
親を尋ねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀のつばさの 浜千鳥

 
作詞者 鹿島鳴秋   作曲者 弘田龍太郎

細雨

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細雨糸の如し。

舞鶴の工場の引渡し。

顧問様にお茶をたてて頂く。

お菓子もとても美味しいw

幕末の日本人

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久方ぶりに一気に読み進む

とても興味深い。

国際舞台の冷徹な外交史。・・・・物語は米国の騒擾等あらゆる手段を使ったカリフォルニアの争奪から始まる。南北戦争時、常に英国を介入させないという熟慮・苦心。

ゴールドラッシュ・大陸横断鉄道・西部開発等のフロンティアスピリット。その延長の太平洋のシーレーンの確保。軍事的重要拠点としてのハワイの併合。日本・清への触手。

英国等の欧米列強の日本への関税自主権を認めない不平等条約。米国の時折見せる日本へのビックブラザーとしての振る舞いと冷徹な収奪者の二面性。

日露戦争の日本の一方的な勝利の衝撃。台頭する日本への苦々しさと仮想敵国としての認識。カリフォルニアの日本人学童隔離政策。増えつづける日本のハワイへの移民。スペインから勝ち取ったフィリピン統治の不安。セオドア・ルーズベルトの暴走するカリフォルニアの日本人排斥への自制の働きかけ。ガラス細工の日米外交・・・・。

(TVドラマ『坂の上の雲』で観戦武官秋山真之が見るキューバでの米国のスペイン艦隊の閉塞作戦は米西戦争のひとこま)

「日米の衝突は米国から見るとなるべくしてなる。太平洋の覇権をかけて衝突すべき国家同士の宿命。(地政学・民俗学的見地より)」(荷馬李 ホーマー・リー著『無知の勇気』の要旨)

1.米国の太平洋地域での最も重要な懸案はフィリピン・グアム・ハワイに繋がる島嶼(とうしょ)群の安全保障

2.単一民族は強いが、移民が多数派になると国家(米国)は弱い。

結果として、日本への恐怖心。

ホーマー・リーの冷徹な分析・・・・。

 
 

冒頭のペリーが浦賀への来航時、随員の旅行作家ベイヤード・テイラーの記述。

相模湾沿岸は絵のように美しい。二百フィート(六十メートル)ほどの断崖が見え、その割れ目に小さな谷が見えてくる。断崖の奥に続く陸地は緩やかな起伏を見せ、そこに緑濃い木々、耕された畑が広がっていた。その後方には山々が重なり遠くの峰は霞に隠れていた。
 

・・・(いよいよ沢山の小船が近づいてきます。)
 

・・・日本人の漕ぎ手は背が高く立派な体格をしていた。均整をとれた体格には活力が溢れていた。その表情も逞しく男らしさを感じさせた。・・・・・・・船上に上がってきた日本人は蒸気機関の動きを熱心に見ていた。そこには畏れの表情は微塵も見られなかった。達之助はこのエンジンが蒸気機関車に使われているものと同じかと聞いてきた。質問を続ける彼らの見せた上品な振る舞い、洗練された人々が見せる事のできる態度だった。・・・・役人たちの顔はオリーブ色で、頬も唇も血色が良かった。目は大きく、支那人のように斜めにずれていなかった。額は広く表情は豊かで、彼らの心が生き生きとしてることの証だった。・・・ペリー艦隊の士官たちは一様に、こうした日本人が完璧な紳士であることを認めていた。

「・・・入り江の奥の方からきれいな川が流れ込んでいた。川の両岸には民家があり果樹の植えられた庭が広がっていた。彼らをみつけると老いも若きも男も女も川岸に集まってきた。親しげに近寄ってきた人は手に手に冷たい水や熟れた桃を持ち歓迎してくれた。」(「日米衝突の根源」 1958-1908 渡辺惣樹著)

幕末の日本人にとても興味がわきます。

晩秋

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安協の総会や雪氷作業の出動式等重なっており、何かと気ぜわしい。

思い立って・・・・、雨中徒歩で残りの地権者廻りをする。

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雨のため、在宅率高し。

紙袋がびしょびしょに濡れる。

ズボンの裾も・・・。

村の中には曹洞宗の名刹がある。雨中のたたずまいも味わい深い。

道中、旧家の塀の晩秋の色のコントラストに暫し見とれる。

雨もまた良し。

 
 
 
 
二日間廻らしていただいた中で、思いかけず数軒がリフォームのお客様。

「・・・ちょこちょこお宅でリフォームお世話になっとるんやで・・・。」

「・・・お宅の釣さんは模範社員やね。」

「・・・おとうさん。ヨネダの社長さん来られたで・・・。入って入って・・・w」

と心易く話していただく。

 
 
あるお宅では年配の方が、

「うん。あんたのお父さん知っとるで・・・。家は○○の水路の横の家やろ・・・。」

とのお話。
 
 
とても有り難かったです。
 
 
 
 
 
なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる  

                                    西行