社長ブログ

心に見える景色

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出勤してみますと、八重桜が豪勢に散っており、昨日に続き数人で箒でかき集める。

八重桜、牡丹、燕子花(かきつばた)、芍薬、躑躅(つつじ)と一度に咲いたような感じです。

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さて、飛び石連休の一日は神戸へ出かけ「北斎展」を観てきました。

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日本経済新聞の日曜版の美術欄「美の美」が好きでよく新聞を眺めております。

以前五月の連休にいった大阪の美術館は人が多かったので今回は早い時間に行きました。

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江戸後期の浮世絵師として生涯に描く事3万点以上、常に新たな画様式を追求した傑出した絵師であったかと思います。

また生涯に転居する事93回、画号を変える事30回、奇矯の人でもあったかと思います。

役者絵にはじまり、浮世絵や洋風版画、「冨嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」「諸国名橋奇覧」などの著名な浮世絵版画、摺り物、団扇絵や珍しい組上絵にいたるまで才能の赴くまま森羅万象を描いた北斎の画業を楽しむ事が出来ました。

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画題などを観ていて「おやっ?」っと思ったのは当時の人々の心に見える景色でした。

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「三代目瀬川菊之丞のおそめ」

・・・瀬川菊之丞とは当時有名だった役者だろうか・・・?

「おそめ」とは、さぞ美貌の誉れ高い娘だろう・・・。

そういえば、先日組内の用事で電話帳を調べると「○之丞」というお名前があったが・・・?

立派なお名前に感じたが・・・。

ところで「丞」とはなんぞや??・・・

(あとで調べると「丞」とは下のものが上を支える意。下のものが上に上がっていく様。「蒸気」。
丞相。君主を補佐した最高の官吏。 蕭何。次男さんだろうか?)
 

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「百物語 お岩さん」

・・・それにしてもなんかユーモラスなおばけやなぁ・・・。

江戸時代の人は妖怪を信じたのだろうか?・・・
 

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「新版浮絵 浦島龍宮入図」

・・・みんな頭に魚のかぶり物をつけているw「浦島太郎」の故事そのままやなぁ。

そういえば先々月の甥っ子の婚礼で、会社が東京の晴海にあるせいか?同期の人がおなじように頭に魚の

かぶり物をして出し物をしてくれたなぁ・・・
 
 
 
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「冨嶽三十六景 尾州不二見原」             「冨嶽三十六景 凱風快晴」

・・・当時は霊峰富士に参る「富士講」が盛んだったらしい。丁度お伊勢さんに参る「伊勢講」のように。江戸にも「富士塚」が造られ近所で参ったらしい・・・
 

 
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「朱鍾馗図」(しゅしょうきず)

・・・お寺で見るお坊さんの墨絵みたいやなぁ。

正確には道教の神さん。

陶器で出来た鍾馗さんを手に入れた事がある。

そういえば、今読んでいる「下谷叢話」永井荷風著に端午の節句の頃、江戸中に鍾馗さんを描いた旗が

沢山飜っていた事だろう。という記述があった。

鍾馗さんは疱瘡よけの神様らしい・・・
 
 
 
当時はどんな事が流行り、どんな事を楽しみとし、どんな事を信仰し、またどんな近所付き合いをしてたのでしょうか?

当時の市井の人のこころに見える景色はどんなだったのでしょうか?

とても興味があります。
 
 

ひるがえって、私たちがみるこころの景色は後世の人々にどう映るでしょうか?

面白いですねw
 

 
 
 
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(「三曲合奏図」 北斎の娘、葛飾応為作)

桜の頃

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陽気も良くなり、久方ぶりに車を洗う。

隣の保育園の子供達が楽しそうに遊んでいる。
 

「おっちゃんどういう名前?」

「どうでもいいおっちゃん。」

「どうでもいいおっちゃんいう名前?」
 
 
 

いつも通りお声がかかる^ ^

せっせと洗車に精を出すが、彼らの相手もせなあかんので、口も動かす。
 
 

「私の名前は○○。この子は△△。」

「おっちゃんよねだおっちゃんなん?」
 

いきなり空中へジェットを放水!

やんやの喝采を浴びる^ ^
 
 

「もっとやって!」

「エイッ!」
 
 

もう一発も二発もサービス。
 

春の昼下がりお隣同士で交流を深めました^ ^

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先日三田市で上棟式がありました。

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長年お世話になっている薬品会社様でした。

建屋ではかれこれ5棟目の上棟になります。

社長様と女性の方がおみえになりました。

上棟式後、現場事務所で事務的なやり取りがありました。

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その折に、社長様から弊社の営業担当のO部長に

「Oさん、・・・ことわりを言っておかなあかんのですけど、(現場担当の)M君を拉致というか、お連れして食事に言ってこようかと思います。

M君の人柄といい、仕事ぶりといい会社で凄く人気があります。勿論O部長にもお誘いしたらええんですけど、M君が気い使われたらあかんのでM君だけにさせていただきます・・・。

とお話があったそうです。
 
 
 
その夜、会社で住宅の着工式がありました。

市内で親世帯と同じ敷地に既存建物を取り壊して新築をさせていただきます。

ご夫婦、中学生の娘さん、小学校高学年の息子さんがおみえになりました。

息子さんは弊社の社員夫婦の息子さんとサッカーで同じチームだそうです。

ご主人奥様ともとても穏やかな方で、子供さんもとても子供らしい雰囲気のとても良いご家庭でした。
 
 

着工式後、住宅部のO課長より工事図面の説明がありました。

図面を説明しだすと息子さん娘さんも身を乗り出して聞いて頂きました。

「このキッチンカウンターは○○君が幅を決めてくれたんやなぁ。」

・・うん。僕が決めた。

工程表も説明しました。

「・・地鎮祭って何?」(息子さん)

「地鎮祭はですね・・・、工事をする時に地の神様に・・・。」(米田)

服装は「スーツ」と書いてあったために

僕、スーツ持ってへん。。

「大丈夫です。今の格好ぐらいで・・・。」

「玉串奉奠は玉串を神様に・・・・、2礼2拍手一礼で・・・、神社行かれたら拍手打たれるでしょう・・・。」

・・・起って2礼2拍手1礼を彼がしてくれる。

サッカーでお参りしたときにやった。」(微笑)

 
 
 
お母様から

「息子はOさんの大ファンで、打ち合わせでOさんに会うと言うと必ず付いてきます。」(笑)

「O課長・・・・、幸せ感いっぱいやね・・。これだけ皆さんに(工事説明を)聞いて頂いて・・・。」(米田)

 
 
ほのぼのと夜はふけていきました。
 
 
M君やO君にとって本当の意味での「仕事の報酬」やなぁと感じました。

感謝。感謝です。
 
 

 

ビール党

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某日、ハチ北アルペン大会に出てきました。

競技スキーを再開した友人に

「何処までやれるかやってみようかと思って・・。」

の一言に影響を受けてのことでした。

結果は・・・としておきましょう(笑)
 
 
 
さて、先日からタキトゥス(55頃-120頃)の「ゲルマ-ニア」を読んでおります。

読んでいて、思わず笑ってしまったくだりがありましので紹介します。

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著者は帝政ローマ時代の政治家、歴史家です。

属州出身でアグリコラの女婿、補充執政官を勤めています。

帝政ローマ帝国の衰亡を憂い、共和政時代の気風の回復を訴えるものが多いそうです。

著者はゲルマニア地方の風土やゲルマン諸部族の慣習・性質・伝承などを記しています。

この時代、帝政ローマ帝国の版図がライン河(レーヌ)の西のガリアといわれる地域まで広がり、カエサルによる名高い歴史書「ガリア戦記」が書かれました。

ローマ帝国が同時代より悩まされ続けるライン河の東、ゲルマニアと呼ばれる地域から蛮族の侵入がありました。

同じくドナウ河(ダーヌウィス)の東からの蛮族の侵入にも悩まされ続けました。

・・・

〔飲料・食料〕

飲料には大麦もしくは小麦より醸造(つく)られ、幾分葡萄酒に似た液があるが、(レーヌおよびダーヌウィス)河岸に近いものは、葡萄酒を購っている。食物は簡素にして、野生の果実、新しい獣肉、あるいは凝
乳。彼らは調理に念を入れず、調味料なしに飢えを癒す。しかし、かれらは渇き(飲酒)に対して節制がない。もし、それ、彼らの欲するだけ給することによって、その酒癖をほしいままにせしむるとすれば、彼らは武器によるもむしろ容易に、その酒癖によって征服せられるであろう。

〔社交・娯楽〕

観物の種類はただ一つ、しかもあらゆる歓会を通じて同一である。ただこれを楽しみにこれをなす青年たちが、裸体になって、おのれを脅かすがごとく立つ剣や、フラメアの刃の間に飛び込んで、縦横におどりまわる。修練が業を作り、業がこの妙技となったが、決して利益や報酬が目的ではない。如何にも大層な慰みとはいえ、報酬はただ、これを見るものの楽しみにある。彼らは賭博―まことに不可思議なことではあるが―彼らはこの賭博を、酔ってない時にも、あたかも真面目な仕事のごとく行ひ、しかも全てを失った場合、最終最後の一擲に、みずからの生命、自由をかけて争わんとするほどの、勝負に対する無謀さである。負ければ進んで人の奴隷となり、たとえ(勝ったものより)より若く、またより力強くとも、その身の束縛を受け、売買に供せられるのを耐え忍ぶ。この蔑視すべき事柄における彼らの頑固さは、まさにかくのごとく、しかも彼らみずからはこれを信fidesと呼ぶ。かかる事情の奴隷は、勝ったものも、みずからまた勝利の心苦しさから免れるために、取引を通じて売り放してしまう。

(「ゲルマ-ニア」タキトゥス著 田中秀央 泉井久乃助訳)

・・・

以前冬にミュンヘンの工業見本市に行ったおりに、郊外へのペンションに帰るのにIC(インターシテイー。ドイツ鉄道の新幹線のようなもの)に乗っておりました。ビジネス帰りのドイツ人の多くがパソコンをうちながらビールを美味しそうに飲んでました。

紀元1C頃からのビール党のDNAは脈々と彼らに染みついているのですね(笑)

勿論頑固なゲルマン魂も・・!

シューン、シューン♪

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昨日はハチ北高原まで滑りに行っていました。

山頂では-7℃でした。

雪質も良くシューン、シューンと滑走を楽しみました♪

木々の枝に雪がエビの尻尾のように凍てついた樹氷の眺めも格別でした。
 

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今、「フロー体験 喜びの現象学」M.チクセントミハイ著 今村浩明訳を読んでいます。

・・・文化は日々のつまらない生産活動を、可能な限りフロー活動に進化することがある。仕事と家族生活がともにやりがいのあるものでありながら、それが調和的に統合されている集団がある。ヨーロッパの高山の谷間、アルプス山脈の谷間に、産業革命を免れたこのような共同体が未だに存在している。

・・・このような地域の最も著しい特徴は、住民が仕事と自由時間をほとんど区別していないことということである・・・

ポント・トレンタックスの76歳の老女セラフィーナ・ヴィノンは、今でも牛の乳搾りのために朝5時に起きる。それから彼女はたくさんの朝食を作り、家の掃除をし、天候と季節によっては氷河直下の牧場に牛の群れを連れ出すか果樹園の手入れをするか羊毛を剥くかする。夏には彼女は高原の牧場地で草を刈り、その大きな束を頭に載せ、干し小屋まで数マイル運ぶ。寄り道をしなければ半分の時間で干し小屋に着くことが出来るが、彼女は坂道を壊さないようにするため、見分けのつかない曲がりくねった小道をたどることを選ぶ。夕方には本を読むか、ひ孫に物語を聞かせるか、週何回か彼女の家に集まる友人や親戚とのパーティーでアコーディオンを弾いたりする。

 セラフィーナはすべての木・石・山の特徴を古くからの友達のように知っている。・・・
 
 生活の中で何をするのが一番楽しいかと尋ねられた時、セラフィーナはためらわず、乳を搾ること、牛を牧場に連れ出すこと、果樹園を剪定すること、羊毛を剥くことと答えた・・・事実彼女が最も楽しんでいたのは、これまでの生活でずっと続けてきたことであった。彼女自身の表現によれば「とても楽しいのさ。外にいること、人と話すこと、家畜と一緒にいることがね・・・植物・鳥・花・動物―何とでも話しをするよ。自然の全部がずっと友達さね。自然は毎日変わっているよ。せいせいするし楽しいねぇ。くたびれて家に帰らなければならないのが残念でねぇ。・・・うんと働かなくちゃならない時だって素敵だよ」。・・・
 
 
 ・・・昔の思想家にフローという現象がどのように現れていたかを示す興味ある実例の一つは、2,300年前の道教の思想家である荘子の著作に見られるという概念である。とは進路、つまり道に正しく従うことを意味している。これは英語で「逍遙すること」「宙を歩くこと」または「泳ぐこと」「飛ぶこと」「流れること」(flowing)などと訳されてきた。荘子はが適切な生き方―外的報酬に感心をもたず、自発的な、自分の全てを委ねる―つまり全的な自己目的的経験としての生き方であると信じていた。

 いかにに従って生きるか―いかにフローにするか―の一例として、荘子は彼の名前を今日まで伝えることになった著作『内篇』の中で、身分の低い使用人の寓話を書いている。この人物は魏の恵王の宮廷で肉の解体を仕事とする料理人の丁である。・・・

「丁は魏の恵王のため牛を割いていました。手が動くたびに、肩が動くたびに、足が動くたびに、ひざが動くたびに、サクッ、サクッ。丁は包丁をシュッ、シュッと滑るように動かしました。桑林の舞を舞うように、経首の会(しらべ)に合わせるように、何もかもとても良い調子でした。」

 恵王は、自分の料理人が仕事をフローして(の状態で)いるのに心にかれ、丁の技を賞賛した。しかし丁はそれを技の問題であることを否定した。「私が心掛けているのは技を越えた道でございます」。そして彼は、どのようにして卓越した動作、やすやすと肉を薄切りにすることを可能にする、牛の構造についての一種の神秘的で直感的な理解を得たかについて述べた。「感覚や知識は、働きを止め、心だけが自由に動きます。」・・
 
 
・・・アルプスの土地を耕す老婦人、南シカゴの溶接工、古代中国の伝説の料理人は、次のことが共通している。彼らの仕事は困難であり魅力的なものではない。そして多くの人々はそれを反復的、また意味のないものと考えるだろう。しかし、これらの人々は強いられた仕事を複雑な活動に転換した。彼らは他の人々が認識しなかったところの挑戦の機会を認識することにより、その能力を高め、当面する活動に注意を集中し、後に彼らの自己がより強く現れるまで対象との相互作用に没入することによりこれを成し遂げたのである。このように変換されることによって仕事は楽しくなり、心理的エネルギーが投入されることによって仕事はあたかも自由に選び取られたもののように感じられるのである。・・・

(「フロー体験 喜びの現象学」Mチクセントミハイ著 今村浩明訳より引用)
 
 
 
・・・仕事もシューン、シューンとスキーの円弧を描くように楽しんで出来ればいいですね♪