ハンニバルVSスキピオ

2010年5月19日

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列車での移動が多く、たまたま書店で手に取った、「ローマ人の物語」塩野七生著(全36巻)を読み進む。

8巻まで読む。読み出すと止まらない・・・。

まだ、前100年ぐらいで、やっとカエサルが登場したところですが・・。

・・・・・戦史史上、アレクサンダー大王に次ぐとされる、天才戦術家ハンニバルと若き知将スキピオの両雄が相まみえました。
 

前753年にロムルスにより建国。前509年に共和制(執政官・元老院・市民集会)に移行。その後、興亡を繰り返しながら、比類なき大帝国を築きあげた古代ローマの一千年にわたる歴史です。

紀元前3世紀後半、イタリア半島の長靴の先にあるシチリアの小国が救援をローマに依頼。

地中海の覇権をめぐり、対岸の北アフリカの大国、カルタゴとの対決が始まる。(ポエニ戦役

Carthage_locationカルタゴ

その中で、ローマはカルタゴの稀代の戦術家ハンニバルにスペインより、当時不可能と思われていたアルプス越えをして攻め込まれる。(戦車の役割を果たす、象まで連れて・・。)

200px-Hannibal_Slodtz_Louvre_MR2093ハンニバル

ハンニバルの戦術の前に、ローマ軍は連戦連敗。カンネの戦いではローマ軍を完膚なきまでにたたきのめし、ローマ市民を震撼させる。ハンニバルの重要視した騎兵の機動性にローマ軍は苦しんだ。(北アフリカは騎兵の産地。当時鐙(あぶみ)がないために、騎乗で戦うには、熟練した乗馬技術が必要とされた。)

Cannae1カンネの戦い

・・・余談ながら、シチリアのシラクサの攻防戦では、カルタゴのアルキメデスの考案した数々の奇妙な新兵器にもローマ軍は悩まされる。

ローマ船が近づくや、城壁の上から、奇妙な機械が出てきて、攻城用の梯子を引っ掛け海にほおり投げた・・・
 
 

ハンニバルは直接ローマを目指さず、南下しながらローマ連合の諸都市の離反を狙った。

770px-Hannibal_route_of_invasion-en.svgハンニバルの進軍路

ローマは分の悪い、平原での直接対決を避け、執拗なゲリラ戦追撃戦で、食い下がる。ローマは制海権を持っているため、カルタゴ本国からの兵站を阻止。20軍団余りを投入しハンニバルと友軍の合流を止める。(通常は2人制の執政官各々に2軍団が原則。1軍団1万人弱)

ハンニバルをイタリア半島の長靴の先に押し込める。

しかしながら、・・・戦役は膠着状態に陥る。
 
 

・・・建国以来最大の危機に見舞われたローマ。元老院は名門の生まれではあるものの、実績のない若きスキピオの志願に応え、11人目の指揮官として任命した。(全軍で11人指揮官必要であったため。)

Scipio スキピオ

苦戦していたスペイン戦線に投入されると、スキピオは電光石火の進軍で、めざましい実績を上げた。スペインより凱旋したスキピオの進言により、膠着状態を破るべくローマはカルタゴ本国を攻める。

騎兵の産地、北アフリカのヌミデイア王国のマシニッサとの友情、参戦以来の親友レリウスとの信頼。3人体制で攻略を行う。

師弟対決ともとれる、カルタゴのザマの会戦により、スキピオと本国に呼び返されたハンニバルが直接対決し、騎兵の機動力に勝るスキピオの圧勝に終わる。

ザマの戦い1

会戦の前日には二人の稀代の知将の会談が行われている。

「・・・スキピオ、若いあなたには納得できにくいかも知れない。・・・・カンネの会戦以後の私は、イタリアの主人だった。首都ローマに肉薄したことさえある。あの当時はハンニバルが、ローマの主人の生命とローマの国家の行方を決める審判者だった。それが今では、アフリカにもどり、ローマ人であるあなたと、カルタゴの救済について話し合うまでになっている。」

「-寒さも暑さも、彼は無言で耐えた。兵士のものと変わらない内容の食事も、時間が来たからだというのではなく、空腹を覚えればとった。眠りも同様だった。彼が一人で処理しなければならない問題は絶えることはなかったので、休息をとるよりもそれをからづけることを優先した。・・・兵士たちにとって、樹木が直に影をつくる地面にじかに、兵士用のマントに身をくるんで眠るハンニバルは、見慣れた光景になっていた。兵士達はそのそばを通るときは、武器の音だけはさせないように注意した。-」

「私は以前にある作品の中で、リーダーとして成功する男の最重要条件として、彼がかもし出す雰囲気が、イタリア語ではセレーノ、強いて日本語に訳せば晴朗にあると書いた。ブブリウス・コルネリウス・スキピオは、若い頃からこれを完全にもっていた。彼が演壇の上に立っただけで、人々にはこの若者を支持したい気持ちがわいてくるのである。」
 
 
(「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」より)
 
 

・・・
 
 

感じたことを思いつくままに・・・。
 
 

1.柔軟な政治システム。

紀元前に、既に「王政ローマ」から「共和制ローマ」に変革され、時代にあった柔軟な政治システムをもつ。・・・その後政治システムは変遷していくが・・・。

 執政官・元老院・市民集会の3極構造。最高権力者である2人の執政官。1年任期。2人の合意の後、市民集会で是非が問われる。否決される事もある。元老院は100人から数百人規模の執政官へのアドバイス機関。年齢も厳密に定められており、衆目の一致する実力者が、長期にわたり就任する。

・・・現代の政治の混迷から見ると、極めて近代的?なシステム。

2.「緩やかな帝国主義」の寛容さ。

ローマが戦争に勝つと、

①ローマは以後相手国を独立した同盟国と見なす。相手国の自治権を尊重する。

②戦役による占有地の返還。

③武装解除。今後ローマ及び同盟国への侵略を認めない。

④相手国・ローマ軍のお互いの捕虜の釈放。

⑤賠償金の支払い。大抵は割賦でかなり少額。現代の数十億円規模?

⑥税金は収穫の1/10税。自国に支払い、ローマには支払わない。

戦争時はローマ軍1/2とローマ連合1/2の混成軍で戦う。

3.柔軟な市民感情。

ギリシャ文明へのあこがれがあり、こぞってギリシャ語を習い、子弟にはギリシャ人の家庭教師を雇う。征服しながらも、相手国の言語も学びながら終生バイリンガー(二ヶ国語話者)として暮らす。

4.その他。

暦の制定。July(7月)はIuIius(ユリウスカエサル)。August(8月)はAugustus(初代皇帝アウグストツス)。May(5月)は旅と商いの神Mercurius(マーキュリー)から。

多神教の国。夫婦げんかの神までいる。他国に宗教を強制しない。
 
 
 
 
 

・・・・興味深い話ばかりでした。 

「ローマは一日にして成らず。」ですが、・・・・・まだまだ序章で、物語はなが~いですね(笑)

 
 
 

(以前に「ガリア戦記」カエサル著を読みました。簡潔・明晰な文章で、武器の図解もしてあり、これもとても面白かったです。ご一読あれ。)

 

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