自分が自分になれる時間

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波MIAMI仕事上でオーストラリア在住のAKIKOさんとメールのやり取りをしていました。彼の地も大分暖かくなってきたとかで、日中はタンクトップで過ごせるそうです。(南半球のため、季節は日本の反対)サーファーの彼女にとって、これからは絶好の季節のようです。  

波 riding

「自分が自分になれる時間」ですね。・・とメールを返しました。

以前、ある方と面接をしていました。

「趣味」の欄に「歌」とあるので、

「へぇ~歌ですか・・?」と我ながら愚問を発しました。

「歌うことがとても好きです。歌っていると『自分が本来の自分になれる』ような気がして・・・とても楽しいです。」

とニッコリと笑ってお答え頂きました。

「自分が本来の自分になれる」って、とてもいい言葉ですね。

 

 

月知名月秋       

花知一様春

(つきはめいげつのあきをしる)
(はなはしるいちようのはる)

(photograph by Akiko)

        

温故知新

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笹場いせき笹場いせき 上側

笹場いせき 碑 表笹場いせき 碑 裏

市内の笹場までYさんの弔問に行ってきました。享年81歳でした。

故人は、弊社が35年前に竹田川笹場井堰(灌漑用の取水施設)の新設工事させて頂いた時の井堰組合長さんです。弊社の先代と同じ歳のせいもあり、先代がとても仲良くして頂きました。

毎年年末には会社の玄関に門松をつくりに来て頂きました。

・・・帰りにお宅の前にある笹場井堰に行ってきました。

工事中のことを良く覚えています。

丁度私が15歳のときでした。

高校受験の時で、早朝机に向かっておりました。

1階から先代が、

「洋一。鯉取りに行こう・・。川をせき止めとるで・・・。」と声をかけてくれました。

現地へ車で行きますと、川は工事の仮締め切り中で、川面に靄(もや)がたっておりました。小舟をだして川漁師らしき人がおり、大きな鯉網で岸に生えた背の高い草の根本を「ガサガサ」やっておりました。

しばらくして、1m近くある鯉が採れました。麻で編んだドンゴロス(インド産の粗い麻布や、それで作った麻袋)にいれた気がします。帰りにR175号の道路脇に、秋の朝日の中で、栗がたわわに実っていた光景を覚えております。

我が家に笹場井堰の工事の時に、工事風景を撮影した8mmフィルムがあります。伐開(草木を刈ること)と河川の仮締め切り風景が映っております。

・・先代は当時としては、先鋭の試みをしていたのだと思います。・・そう・・心も大いに弾んでいたに違いありません。

これが35年前の話です。

次は24年ぶりの話をします。

福来倉庫3

先日、舞鶴で工場の上棟をしました。

 

 

 

 

お施主さんは弊社に24年ぶりに工事をご発注頂きました。前回の工事は、私が米田組に入社した年で、商業施設をお世話になりました。

突貫工事で、丁度私が結婚した時で、式やなんやで、バタバタしている内に工事が終わっていたのを覚えています。

実に24年ぶりに声をかけて頂いて、上棟の運びになりました。

上棟式の時に、私もとても晴れやかな気持ちになり、心が弾みました。

お客様とは「なが~~いお付き合い」になります。

古い時代も今の時代も、モノ造りは「心が弾む」のでしょうね。

淡き・・・。

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払暁、上京す。余は業界団体の挨拶廻りに同行せり。

村野藤吾展早朝、新橋駅よりM電工汐留ミュージアムへ徒歩。霧雨肩に降りかかれり。秋色濃し。

 

 

 

「村野藤吾-建築とインテリア」展を拝観す。氏は日本生命日比谷ビル(日生劇場)・広島世界平和記念堂・ウェスティンホテル(旧都ホテル)京都佳水園等常に本邦建築界で重要な位置を占めり建築家なり。

広島世界平和記念堂 あるぜんちな丸

 

  

 

 

興引きしは戦前の豪華客船「あるぜんちな丸」の船室や食堂の艤装なり。モダンかつ繊細なデザインに嘆息す。

直筆の原寸図等、興は尽きず。

午後、監督省庁のT大臣に面談す。京都のO会長・S専務理事・余の3名なり。T大臣は磊落・意気軒昂なり。

「米田さん、おいくつになられました?」

燈刻、横浜K駅に廻り、T嬢の父君の通夜に参じる。細雨糸の如し。往路車中にて訃報を思い出しぬ。T嬢は余の学生時代のスキー部同期生なり。もう一名のY嬢にも邂逅す。両名卒業以来なり。

遺影の前で焼香す。

「すっかりお父さんになっちゃって・・・。」

「また、ゆっくりな・・。」(笑)

滞在数刻で車中の人となりぬ。

余、京都下車時、横目に若き婦人、幼児2名と降車おぼしき風・・。

幼児1名は母の手の中で眠りぬ。兄は2歳位なり。サンダル履きて座席の上に立てり。

・・母は注意せぬか・・??・・

大きし荷物と乳母車あり。

・・!・・

「お持ちしましょうか?」

乳母車を持ちて、下車す。

「有り難うございました。」

弾ける笑顔で謝す。

「僕・・・、危ないでお母ちゃんについときなよ。」(微笑)

疲れし身体に・・・淡き喜び生ず。

Hちゃん

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少女暑い昼下がり、十数年ほど前に住宅を建てて頂いた○○さん宅に工事受注のお礼に行ってきました。

 

 

 

確か中学生になっておられる娘さんのHちゃんにお礼を言うためです。

季節の果物と僅かばかりの図書券を購入して上がりました。

丁度お母さんとHちゃんがお家におられました。小学校低学年の時までくらいしか記憶が無く、すっかり娘さんらしくなったHちゃんにビックリしました。

・・・

drawing以前、住宅の謝恩会をRホテルでやったことがありました。その会場にお母さんとご兄弟と彼女が来てくれました。そのときに彼女の手作りの家つくりへの感謝状を作って持ってきてくれました。

 

 

 

会場で贈呈式をしました。会場ではおてんばな?彼女が小さい子達を率いて活発に遊んでくれた記憶があります。

その後、彼女の感謝状を会社のロビーに額に入れて飾らせてもらっていました。

・・・

2年前大阪から所用で来られた某銀行のOBの方が、その額を見て、いたく感心され、取引先の社長さんに当社をご紹介頂きました。とんとん拍子に話が進み、現在社長様の会社の新工場を当社で施工中です。

・・・

事情をお母さんにお話しして心ばかりの粗品をお渡ししました。

「・・・これはHちゃんが本を買うときに・・。」と話しますと、お母さんの裏でHちゃんが

やった-!」とガッツポーズをとられました。

とても可憐で可愛らしかったです。

お二人で私の車が出るまでお見送り頂きました。感謝。。

若衆宿

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drawing日曜日に娘のヨット部のファミリーデイがあり琵琶湖まで行ってきました。

 

 

 

 

琵琶湖にモータボートやクルーザーで父兄が連れて出てもらい、練習風景を見たりスナイプ級のヨットに乗せてもらいました。

あいにくの微風で満帆に帆をはらんで・・・とは行きませんでしたが、無動力でスルスルと滑るように湖面を行くヨットの感触を楽しみました。湖面から見る湖西の市街地のマンション群と比叡の山並みのコントラストもいい眺めでした。

練習後、湖畔に建つ古色蒼然たる合宿所でバーベキューを頂きました。

昭和年代の三角屋根建物で老朽化が激しく1階は艇庫・コーナーに女子部屋(畳+蚕棚ベット状態で雑魚寝「座って半畳・寝て一畳の世界」)隅の土間に台所・2階は男子大部屋(同じく)でした。

合宿所 台所

 

 

 

 

 

男子部屋には天井に大きな紙が貼ってありました。墨で黒々と昔の先輩が「俺はインカレだろうと・・だろうと全て勝ちに行く。・・」みたに書かれた檄文でした。

艇庫には工具類や部品が整然と積んであり、どれも年期の感じるものばかりでした。

父兄の接待は上級生が行い、はにかみながらも学生が話をしに来てくれました。

drawing

 

 

 

 

 

・・・「若衆宿」と言う言葉が思い浮かびました。

以前司馬遼太郎さんの本を読んでいたときに、「日本民族はどこから来たか・・?」
の答えに、

1.ロシアのバイカル湖付近から・・蒙古斑(子供の時にあるお尻の斑)の存在。他地域の子供には蒙古斑がない。「て・に・を・は」のように言語をひっつけたり、語尾を変化させて意味を変える膠着語の存在。日本語・朝鮮語・アルタイ語(満州語)・モンゴル語が共通。

2.南方の環太平洋の地域から・・共通の高床式住居。日本語と共通の母音言語。ハワイの言葉の例・「HONOLULU「WAIKIKI」「ALOHA」「OAFU ISLAND」。「若衆宿」の存在。

「若衆宿」とは10歳前後から夜は村の集会所のような処に泊まり、年長者から成人になる前のいろいろな事を教わる風習。その風習の中で使われる宿泊所。日本の青年団や鹿児島の郷中(ごうちゅう)組織(西郷隆盛は郷中組織の長)がこれにあたる。部族では「狩り」などある部分は長老よりも若衆組織が主導権を握る。

臨床心理学者の河合隼雄さんの本にも、同じく成人する前の通過儀礼(イニシエーション)に「若衆宿」の存在が書かれてありました。通過儀礼とは、古く日本では元服の儀式。服装や髪形を変える。未開部族では割礼やトランス状態での祭り。現代に残っているものでは七五三や還暦祝い。観光化したものにバンジージャンプなどがあるそうです。

丁度会社の独身寮に高校や大学を終えた新入社員が入ってきて、独身寮の中で、先輩と飲みに行ったりで一つのコミュニテイが出来てくるのも・・・そんな「若衆宿」の一種かなぁと思います。

・・・

会の終わり頃、学生のお祖母さんが暑さでトイレを出たところで倒れられたと連絡が入りました。

お母さんから「え~!」という声。

瞬時に無言で大きな冷蔵庫を空けて、保冷剤を抱えて走る女子学生、お茶の入ったやかん持って脱兎の如く走る男子学生と・・あまりの動きの素早さにビックリしました。

現代でも「若衆宿」は脈々と各地にあると言うことを感じました。

ヨット撤収