花のした

芸術

清水寺 桜
清水寺で会があり行って参りました。森清範貫主の法話を聞かせていただき、小堀遠州作ともいわれる見事な庭園を見せていただきました。

桜が丁度その日から一気に咲き始めたようで、全山善男善女でにぎわっておりました。2代前の貫主であられる大西良慶和上(108才まで生きられた。5つ子の名づけ親として有名。)の「ゆっくりしいや」の文章の中に、この百年を評した言葉があります。

「ただね。これだけはいえるの。私がこの清水寺から眺めてきた景色やね。その景色が変わったかどうか。それだけは、実際に、この眼でたしかめてきた。世の中が変わった、様子が変わったという。けれども、この山の上から京都市中を見おろしている景色としての全体印象をまとめてみると、あんまり、変わってないのね。・・・・平常心これ道なり、でね。心静かに、大きな事を思わんと、足元を見て、怪我あやまりのないように進むことやね。京都が千年、王城の土地として栄えてきた秘密もそこにある。山を望まず、海を望まず、京都は京都らしく、静かなきれいな心で維持されてきた。・・」

高低差のある清水寺からの眺めはまさにお言葉通りのように思いました。

  願わくは 花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ  西行

「かいろが鳴いたから・・・」

芸術

かえる
  
「銀の匙(さじ)」中勘助著(岩波文庫)を読みました。

なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽出(ひきだし)から見つけた銀の匙。煉薬〈れんやく)を飲ませてもらった思い出の匙。伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を著者が自伝風に綴った名著です。

子供自身のみずみずしい感受性を明治時代の東京の風俗や日本の豊かな文化をちりばめながら描き出されています。

ある雑誌に某中学校で著名な先生が中学校3年間をこの本1冊だけで国語を教えられたと書かれておりました。斉藤孝氏のベストセラー「声に出して読みたい日本語」にも確か一話はいっておりました。

以前から一度読んでみたいと思っておりました。
 
 

『あの静かなこどもの日の遊びを心からなつかしくおもう。そのうちにも楽しいのは夕方の遊びであった。・・・ 

ちょんがくれにも、めかくしにも、おか鬼にも、石蹴りにもあきたお国さんは前髪をかきあげて汗ばんだ額に風を当てながら

「こんだ何して遊びましょう」
という。私も袂で顔をふきながら

「かーごめかごめをしましょう」という。

「かーごめかごめ、かーごのなかの鳥は、いついつでやる・・・」

・・・合歓の木は幹をさすればくすぐったがるといってお国さんと手のひらの皮のむけるほどさすった。

 夕ばえの雲の色もあせてゆけばこっそりと待ちかまえた月がほのかにさしてくる。
二人はその柔和なおもてをあおいで、お月様いくつ をうたう。

「お月様いくつ、十三ななつ、まだとしゃ若いな・・」

お国さんは両手の眼で眼鏡をこしらえて

「こうしてみると兎がお餅をついてるのがみえる」
というので私もまねをしてのぞいてみる。・・・

月の光があかるくなればふわふわとついてあるく影法師を追って 影やとうろ をする。

伯母さんが
「ごぜんだにお帰りよ」
といって迎いにきてつれて帰ろうとするのを一所懸命ふんばって帰るまいとすれば
わざとよろよろしながら

「かなわん かなわん」
といって騙し騙しつれてかえる。お国さんは

「あすまた遊んでちょうだいえも」
という伯母さんに さよなら をして帰るみちみち

「かいろが鳴いたからかーいろ」という。

私も名残おしくて同じように呼ぶ。そうしてかわるがわる呼びながら家(うち)にはいるまでかわるがわる呼んでいる。』                     (前編 三十一より)
 
 

読んでみて、しばし、豊かな情感の世界にひたりました。

一輪差し

芸術

済州島
 先日の日曜日に幼なじみの友人の奥さんのおつとめの店で一輪差しとぐい飲みを求めました。色彩の楽しい器です。小物は割合旅に出て土産物店や売店で購入します。

 済州島で買った土器の人形・ジャカルタの空港で買った亀の置物・鹿児島空港で買った薩摩切り子の花瓶・人に頂いた立杭のぐい飲み・・・。

 お客様に先代から骨董を集めて楽しんでおられる方がおられます。掛け軸や茶器・火鉢・重箱等興味深い品々が沢山あります。長いおつきあいで10月頃にお伺いすると掛け軸を虫干しされております。

「去年より寂しいぞな秋の夕暮れ」夜半翁(芭蕉)
「山見れば峰雪しろしさかん春べをいつとかるらん」宣長
「海と山ばかりみる旅や野撫子」宗祇
「目にさわるものはなし須磨の月」池大雅

 一緒に軸を読んでいただきながら説明していただくのが毎年の私の楽しみです。
当代一流の狂歌師蜀山人の絵と句に「天才か・・」と感銘を受けたこともありました。

「米田さん、近代的な建物の中に一つ骨董や伝統的な品を置くことにより建物がしまりますよ・・。」とその方からお話ししていただいたことがあります。

 舞鶴に工場を何度もご発注頂くお得意先があります。先に事務所を竣工されました。出自が道東(北海道東部)のお会社で専務様が入り口の明かり取りの窓に「はまなす」のステンドグラスを入れられました。

 それを見て「!」と思いました。その感性の豊かさに「すごいなあ・・。」と思いました。(拍手!)

一輪差し

渡邊崋山

芸術

d41d33f6.JPG 熱海へ4日間ほど行っておりました。箱根神社へ行ったり箱根ラリック美術館へ行ったりして過ごしました。箱根ラリック美術館は20世紀初頭の代表的ガラス宝飾工芸作家のルネ・ラリックの作品が展示してあります。アールヌーヴォーからアール・デコへと流行が変わる中で、ラリックは両時代の寵児として活躍しました。

 「天才か・・・。」と思いました。造形の素晴らしさ意匠の巧みさに只々嘆息するのみでした。

http://www.lalique-museum.com/sakuhin_index.html

 泊まりましたHいう宿の玄関に額が飾ってありました。
額に「渡邊」と書いてあったために
「渡邊・・Who・・・?」と思っておりました。

 食事の時に女将さん(竹下夢二の美人画ににている。)に聞きますと
「渡邊崋山ですよ。」と教えられました。

「・・・なるほど・・なるほど・・。」(我が身の不明を・・。)と思いました。

アールヌーボー:新しい文化・芸術の意。19C末から21C初頭欧州で広まった美術工芸運動。動植物・女性をモチーフにした官能的・優美な曲線模様が特徴。複雑な手工業装飾主義。

アール・ デコ:20C初頭(第1次大戦後)仏から欧州に広まった生活デザインの様式。キュビズム・古代エジプト美術等に着想を求め直線と立体による構成や、抑制された幾何学的な図形が特徴で、合理的な装飾様式。芸術と産業が結びついた新しい時代の美術様式としてアートと生活が融合した20C以降の生活様式の原点となっている。後にドイツを中心に展開したバウハウスの思想へと発展した。

 

 

佐藤太精画伯

芸術

 過日所用があり上京しました。Tホテルで思いのほか用事が早く終わった為、東京国立近代美術館と山種美術館に行ってまいりました。Tホテルの隣が有名な建築家村野藤吾氏設計の日本生命日比谷ビル(日生劇場)であったためしげしげと眺めつつ向かいました。

「ふ~ん。これが有名な日生劇場か・・。」(最近に隈研吾さんの本を読むまで全然知らなかった。)

 山種美術館では風景画展で人が多くゆっくり見ることができませんでした。
帰りにアートショップで絵葉書を買いました。たまたま選んだ中に福知山出身の佐藤太精画伯の「静韻」という絵がありました。 

 東京で福知山出身の画伯の絵葉書を買ったことに「!」といった小さな驚きがありました。

佐藤太精画伯 静韻