
新社名のロゴのお披露目。
やっと足場が取れました。
社屋も築後21年の風雪を経て、「お疲れさん。」状態でした。
大雨の時は階段廻りの窓枠から漏水があったりし、皆も
「建設会社がこれではね~・・・。。」
と顔を見合わす始末・・・。
北面は2年前に全面補修をかけており、今回社名変更を期に防水とタイルの補修・美装を行いました。
社内は毎日の掃除や月1回の一斉清掃等で充分綺麗です。
愛着のある社屋に気分も新たに、また一踏ん張りしてもらいますw
日曜日から会社の安全衛生協力会の旅行に山代温泉に行ってきました。
20数名ののんびりした旅でした。

東尋坊に行くも波浪のため、遊覧船は出ず。
潮風が心地よい。
・・・・○△×・・・・快調宴会♪・・△△・・・・!!
翌朝石川県の南砺市をとおり庄川沿いの世界遺産の越中五箇山に向かう。
南砺市は建築部のM師君の故郷。

渓谷の眺めを楽しみながらバスは進む。


相倉合掌造りの家並み。
とてもほっこりとしたところ。
放射銃で噴水のように散水されている写真が有名。


山の幸のお昼の後、合掌造りの講義を受ける。
講師の方も気合いが入っている。
お料理も鮎・自家製豆腐・山菜・なめこ汁・きなこ+古代米と美味しいw

特産の塩硝の元締めの岩瀬家では「こきりこ節」を聴く。
とても上手。
♪筑子の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ
踊りたか踊れ泣く子をいくせ ササラは窓の許にある
向の山を担ことすれば 荷縄が切れてかづかれん
向の山に啼く鵯は 啼いては下がり啼いては上がり
朝草刈の目をばさます 朝草刈の目をさます ♪
夕刻営業のO部長が帰ってくる。
現場監督が忙しくなり出払っている為、ここ2日ほど△市のホテルの改装現場の乗り込みの手伝いに。
「トラックの荷台の荷物を結べるようになりましたし・・・。・・・インターネットで検索したら結び方もYouTubeでも分かりやすく・・・・。南京結びとか言うらしい・・・。」
結構O部長は嬉しそう・・・。
「出来たら格好いいし・・・。この業界のたしなみ・・・・w」
ウィンドサーフィンをやっている部下のN山君も
「私ももやい結びは出来るんですけど・・・・。」
「・・・・・・。」Y田
・・・しばし話が盛り上がる・・・・。
・・・・・・
翌日夕刻一人で仕事をしていると、現場上がりのN上部長が帰ってくる。
・・・・・昨日のロープの話のいきさつを手短に説明し、N上部長から簡単な紐で結び方の特訓を受けるY田・・。。
「・・・よ~し!明日の朝はトラロープでやって、仕上げだ↑」

先日より、何回か「風姿花伝」世阿弥著(竹本幹夫訳注)をパラリパラリと読み返しております。申楽(さるがく)と呼ばれる能の奥義を父観阿弥の遺訓をもとに子孫に伝えるべく世阿弥が著した芸術論です。
年来稽古条々
七 歳
一、この芸において、大方七歳をもて初めとす。・・・・ふとしいださんかかりを、うちまかせて心のままにせさすべし。さのみに、善き悪しきとは、教ふべからず。あまりにいたく諫むれば、童は気を失いて、能ものぐさくなりたちぬれば、やがて能はとまるなり。・・・・大場などの脇の申楽には立つべからず。三番・四番の、時分のよからんずるに、得たらん風体をせさすべし。
(偶然やり出した演じ方を干渉せずにやらせればよい。「良い」「悪い」と指導してはならない。・・・晴れの舞台の冒頭の能には出演してはならない。三番四番のちょうどよい潮時をみはからって、得意な演技をさせるがよい。)
十二三より
この年のころよりは、はや漸々声も調子にかかり、能も心づくころなれば、次第次第に物数も教ふべし。まづ童形なれば、なにをしたるも幽玄なり。声も立つころなり。二つの便りあれば、悪きことは隠れ、よきことはいよいよ花めけり・・・・さりながら、この花は真の花にはあらず。ただ時分の花なり。
(この年の頃より、次第に歌声も笛の調子に合うようになり、演技にも自覚が生じてくるころなので、だんだんいろいろな演目を教えるが良い。まずは稚児姿なのでどんな風にやっても愛らしい。歌声も華やかに目立つ頃である。この二つの利点があるので、欠点は隠れ、美点はいよいよ魅力的に見えるのだ。・・・・しかしながら、この花は、本物の芸の魅力ではない。単なるその時期の魅力である。)
十七八より
このころはまた、あまりの大事にて、稽古多からず。まづ声変りぬれば、第一の花失せたり・・・・・このころの稽古には、指をさして人に笑わるるとも、それをばかへりみず、内にて、声の届かんずる調子にて、宵暁の声を使ひ、心中には願力を起こして、一期のさかひここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。
(このころの稽古はあまりに大変なので、稽古の種類は多くない。まず、声変わりになるので、最も華やかな魅力であった少年期の歌声が失ってしまう・・・・この時期の稽古としては、たとえ人に指さされ笑われても、そんなことは意に介さず、家では声が無理なく出せるような調子で、夜間夜明けの謡稽古を行い、心の中では神仏に願をかけ、意志の力を奮い起こして、一生の分かれ目はここだと、我が生涯にかけて芸を捨てぬ以外には、稽古の方法はあるまい。)
二十四五
中略
三十四五
中略
四十四五
このころよりは、能のてだて、おほかた変わるべし。たとひ、天下に許され、能に徳法したりとも、それにつきても、よきわきのしてを持つべし。・・・・・このころよりは、さのみに、こまかなるものまねをばすまじきなり。おほかた似合たる風体を、やすやすと、骨を折らで、わきにしてに花を持たせて、あひしらひの様に、すくなすくなとすべし・・・・・もし、このころまで失せざらん花こそ、真の花にてはあるべけれ。
(この年頃からは芸の手立ては全く変わってしまうであろう。たとえ都で認められ、芸の奥義を体得していたとしても、それにつけても、優れた控えの役者をそばに置いておくのがよい・・・・この年頃からはあまり手の込んだ能をしてはならない。大体自分の年齢相応の能を、楽々と無理なく、二番手の役者に多くの演目を譲って、自分は添え物のような立場で控えめに出演するのがよい・・・・もしもこの頃までに無くならない芸の魅力があったなら、それこそが「本当の花」と言うことになろう。)
五十有余
中略
年来稽古条々 以上
芸術論だけでなく、人生論としても味わい深いですね。
五百年前にひとつの道の奥義を極めた世阿弥と言う人物が現代人に語りかけてくるものは何でしょうか?
現代の我々が(訳注の助けをかりながらも)、中世の稀有な人物の明晰な日本語での語りかけを味わえるのは幸せですね。