社長ブログ

推測

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家内が留守で家に帰ると小さなナイロン袋が棚の上に置いてある。

そういえば屋根裏部屋を片づけていた。

開けてみると学生時代にやりとりした手紙や葉書が少し入っている。

「横浜市港北区・・・大倉山プラトーD号」に住んでいた。
 

相手先は

1.郷里の幼馴染み

2.大学スキー倶楽部の主将であったためのその関係の手紙

3.スキーメーカーなどのダイレクトメール

4.協和銀行からの仕送りの通知、電話料金・水道代の未払い差し止め通知等
 

1の手紙はとても味わい深い。

延々と日々のよしなしごとを郷里の幼馴染みが進学先の大阪の体育大学のサッカー部からや舞鶴の高専から送ってきている。

結構私との間で飲み代の貸し借りもあったらしく

「せっかく返そうと四千円を用意していましが、・・・下宿にサッカー部の飲み助3人がやってきて・・・、四千円は焼肉屋の煙と一緒に空にあがっていきました・・・。気がついたら一万六千八百円のアパート代が払えず友人に借りて払う始末。」

「練習は毎日出ているが講義には殆ど出ていない。空恐ろしくなる・・。」

「最後の封をする糊が無く、鞄に入れたまま教室や部室に行き1ケ月ほど経ってしまいpart2を書きます・・・。」
(大抵二便入っている。)
 
「・・・・。今恋をしています。(この部分のみ赤字)・・・・・・・・・・。」
 
 

2も面白い。

腰を痛めて途中でリタイヤした同級生からの合宿への差し入れの手紙

「一万円といきたいが五千円を同封します。アルバイト生活の苦学生だからな。酒代にはしてくれるな。ゲロゲロやられたらかなわない。中日(なかび)に果物を買って下級生に食べさせろ。」

1年後輩からの退部届

「・・・自己矛盾に気づき退部を決意しました。次年度の配置も決まっている中で迷惑をかけます。」

懐かしく思い出しネットで名前を検索すると

著名シンクタンクの代表取締役になってました。ビックリ。

 

 
3は主に学生を取り込みたいスキーメーカー。

「毎日暑いですね。・・ちょっと事務所まで遊びに来ませんか?」

面白いのはスキー倶楽部御用達の中央区の酒房「バッカス」からの年賀状。

店を出たところで道行く他の集団ともみ合いになり、学生服を着た頼りになる敏腕主務のKが颯爽と現地に急行したジープに乗り込み◯◯警察署に行った。

 

 
だいたい当時の自分の頭の中が推測できるw

こち亀状態か?

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秘訣

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先々週の週末は弊社のユーミーマンションの施主会で能登半島の輪島まで旅行して来ました。

今年は17名様の御参加でした。

皆様と20年近いお付き合いです。

能登半島で途中、千里浜なぎさドライブウェイなるところを走りました。

まったくの砂浜をバスがどんどん走りました。

砂の粒子一粒一粒が細かく水で締まって4WDでなくとも走れるとのことです。

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能登半島ではお祭りに担がれる「キリコ」とよばれる大きな御神燈も見ました。

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輪島で一泊しました。

輪島のお宿ではけっこう高齢の仲居さんより(なまえは「なっちゃん」とよばれていたw)
 

「新幹線が入ってきてお客さんがとても増えた・・。二倍じゃきかない。

賞与も久しぶりに出た。今年の春にも出た。仕事をやめられんがね♪」

 
の声。

ご同慶の至りでありました。
 

翌朝は名物輪島朝市にいきそぞろ歩きをしました。

延々と続く出店の列。
 

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魚の干物を中心に海産物を売っておられました。

口々に
 

「見ていってください。」

「クール便もあるよ。」

の声。
 

言葉がとても柔らかい感じがしました。

通りを一往復して同じ干物を売っているが明らかに繁盛している店がありました。

目つきのちょっと鋭いおばさんが、派手さはないが、掛け合いの声の調子もよくどんどんお客さんを捌いていく。
 

「ノドグロにこれもこれもつけておくよ。これで千円。」

「アカウオが一番だから・・・。」
 

私も一瞬そこで干物を買おうとしましたが、常にお客を相手しているために入り込めない。

あきらかに「行列の論理」が働いていました。

人間は「人だかり」に寄っていくのですねw
 
 
そのあと曹洞宗の古刹、総持寺祖院に行きました。

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曹洞宗の本山はご存じのように永平寺、横浜鶴見の総持寺の二つです。

こちらはかつての曹洞宗の本山であり、本山の機能が横浜に移るときに「総持寺祖院」となり別院扱いとなったそうです。

能登半島の辺境の地に本山があり現在は1万5千余ヶ寺を擁する大教団に発展した初期の要因は北前船を利用し僧侶を受け入れ、ここで修行し全国へ僧侶を布教に排出したことにあるそうです。

ここにもなにか時代の「マーケテイング」の秘訣があるように思われますw
 
 

 
お寺の大伽藍は能登半島地震で大きな損傷を受けており、復旧工事中でありました。

数十億円の巨費がかかるようです。

僅かばかりになればと帰りに檀信徒でもありお札を求めました。

・・・あらら・・不思議・・・

実はこの冬自転車で通勤中道路上の凍結部で転倒し膝を痛打し、正座するとひどく痛む・・・。。

今回の旅でも宴会で座敷でお酒をついで廻ったり、お寺で畳敷きの上でお話を伺ったりと不便を感じておりました。

帰宅して仏壇の前に座ると・・・ちょっとましになった気になりました♪

祖院のお札のお蔭かな・・・と思いました。
 
 
 
 
閑話休題、先週の週末は住宅事業部のお客様感謝祭でした。

長安寺公園で190名余りのお客様ご家族をお迎えしてBBQを催しました。

年々ご来場が増えており天候も曇りで暑くなくゆっくりとお客様に自然の中で楽しんでいただきました。

カキ氷、カレー、西瓜割り、ガラガラ福引等々盛り沢山の内容でした。
 

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問題は190名の方々の焼肉が間に合うかと言うことでした。

4台の焼き台を用意しました。

焼肉専門、焼肉とホルモン、焼きそば、烏賊焼き他アラカルトの4台でした。

米田はN谷と焼肉専門台で花板気分で奮闘しましたw
 

・・・問題は炭の火力が一定でないこと。。

 
焼くのに集中していると炭がいつの間にか弱くなっている→炭を足す→火力が弱くなる→お客様が列を作って待っている

この悪循環の流れを断ち切るために賢明なN谷は技を編み出しました。
 

「社長・・・火力よわいっすね。・・豚でいきますわ。」

 

そうです♪

脂分の多い豚を入れると数分で油が燃え上がり火力が上がります。

焼けすぎはご愛嬌ということでお許しくださいw
 
 
 
おのおの物事には秘訣があるということをこの2週間で学ばされた米田でした・・・。

 
 
 
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わしの絵を見るなら、まず賛を読んでからにしてくれ・・。

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連休を利用して神戸市の兵庫県立美術館へ「生誕180年記念 富岡鉄斎-近代への架け橋ー展」を観に行ってきました。

道中交通混雑を心配しましたが、何事もなくHATT神戸近くにある美術館に着きました。

安藤忠雄氏設計のコンクリートの打ちっぱなしのこの美術館に来たのは数回目になります。

観客も多くなくゆっくりと鑑賞できました。
 
 
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艤槎図(ぎさず)

大正13年 鉄斎89歳

艤(ぎ)は船舶の準備をすること。艤装。槎(さ)は筏。歳をとったほうが戦前の代表的な東洋学者の内藤湖南。隗をこいでいるのがその息子。洋行する内藤湖南の餞(はなむけ)として描かれた。湖南が帰国したときには鉄斎は亡くなっていた。

日本書紀に天磐楠船(あめのいわくすぶね)と言うお話がありそれが連想されます。伊奘諾尊(いざなきのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)は蛭児(ひるこ)を生んだが、三年経っても足が立たなかった。それで天磐櫲樟船に乗せて、風に従って放流したというお話だそうです。
 

絵の横に「賛」が書かれていますが、出展が中国の古典、国学、陽明学、儒学などからきており読み解くのが難解。いちいち絵に解説が書いてあり、二百点余りを観るのに大層時間がかかりました。

「万巻の書を読み万里の道を行く」(董其昌)という鉄斎の考え方により晩年まで書を読み、各地を踏破し画業が衰えることはありませんでした。

日本各地を踏破して真景図や文人の理想郷を描いた仙境図などの山水画、中国や日本の故事にちなんだ人物画、神仙画、風俗画、鳥獣画など多岐に亘り、変幻自在、幽玄静寂、括淡天真の異彩を放つ大きな画業でした。

 
 
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富士山図

自身で富士山を踏破して生涯何回も霊峰富士を描きました。
 
 

 
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寒月照梅華図

薄墨の夜に浮かぶ白い月と白梅。私はこれが一番良かったですね。
 
 
 

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瓢中快適図 

大正12年 鉄斎88歳

中国では古来、「壺中天」といって瓢箪の中に仙人の住むという別世界があるとされているそうです。

賛に「何必羨神仙」とあるのは、「神仙など羨ましいとは思わんわい。」との意。

楽しいですねw
 

 
 
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鍾馗嫁妹図

大正7年 鉄斎83歳 

こんな絵葉書も求めました。

仙人などが虎に乗っている構図が沢山ありました。
 
 
 
万巻の書に埋もれて暮らし、そこから繰り出す変幻自在、遊びのある多彩な画業は異彩を放ち続けています。
 
 

 
 

春の海

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先月に淡路島まで旅行に行って来ました。

スイートピーを切ったペットボトルの中に水を入れて苦心して持ち帰りました。
 
 
先日、同じく淡路島の洲本へ食物飼料工場の工事現場まで行ってきました。

途中淡路海峡大橋を渡りました。

橋の下を頻繁に船舶が行き来していました。

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途中サービスエリアに寄りましたが、思いの外沢山の船舶が忙しそうに瀬戸内海を行き来していました。

 
現場ではI君とN君が地元の業者さんと鋭意施工中でした。

「社長、淡路島は職人さんのレベルが高いですよ・・!」

とのことでした。

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帰り、淡路島と橋の反対側にある神戸市西区のペイント材料工場の建築工事現場に寄って帰ってきました。

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新人のO君が現場の入り口で迎えてくれました。

隣の巨大な即席ラーメン工場が姿を現してきておりました。
 
 
 
往復の道中、瀬戸内海を結構な速度で行き来する船の眺めは格別でした。

丁度数年前に行ったイスタンブールのボスポラス海峡を頻繁に船が行き来する様を思い出しました。ヨーロッパとアジアの交点のですから当然で太古から沢山の船がとぎれることなく行き来していたのだろうとその時思いました。

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若年の頃に読んだ司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の中で赤間神社から眺める馬関海峡(関門海峡)の眺めが日本で一番好きな景色と書いてありましたことも思い出しました。

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暖かい春の光の中青い瀬戸内海の海の眺めはのびのびとした気分にしてくれます。
 
 
 
 

・・・私は日本の景色の中で馬関(下関)の景色を最も好む。

 自然というのは動いていなければいけない。伯耆大山の落葉樹の林も鳥の声がきり裂いてゆくからはじめて林間の美があるのであろう。さらに言えば出雲の松江城下の晴れた日など、にわかに日照雨(そばえ)がふって白い雲がうごいているときがある。松江は雲が似合うという印象をはげしく感ずるのは、そういうときではないか。

 馬関海峡(ここは下関海峡というより馬関海峡とよぶほうが、潮の色までちがってくる)は、潮がはげしくうごき、潮にさからっていく外国の大船までが、スクリューを掻き、機関をあえがせて、人間のいとなみの可憐さを自然風景としてみせてくれる・・・

                         「街道をゆく1 甲州街道、長州路ほか」司馬遼太郎著

 
 
 

ヨネダマーク

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新入社員の入社日で研修を始めようとしましたら、15年前に物故された弊社の元取締役総務部長の奥様が浜坂のちくわを沢山お土産に持ってお見えになりました。

ご主人の郷里が浜坂です。

私が入社時後任の女性課長に引き継ぎ中でした。30年近く前に退社されました。

「何時も気にして頂いて。」

との事で暫しお話をして送って来られたお嫁さんとお帰りになりました。

ちくわの包んだ風呂敷はなんと!「ヨネダマーク」入りの風呂敷でした。

風呂敷の色は歴史を感じさせる深い緑色でした。

平成2年の社屋の竣工式に作った風呂敷は濃紺です。

せっかく久しぶりにお目にかかったので二人で写真を撮ってもらいました。 
 

新入社員8名と中途入社者1名の研修初めの日に弊社の「中興の祖」の一人である先人の奥様がお見えになり、有難い事でした。
 

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