ヨシオさんの・・・

歴史

グレートマジンガーZ
弟の会社の事務所を改装しました。行って入り口を入りますとなにやら視線が感じられます。見上げますと・・

『グレートマジンガーZ』の等身大の人形がこちらを睥睨(へいげい)しております。

 お披露目で協力業者の職人さんと焼肉によんでもらいました。宴もたけなわの頃、おもむろに弟が金一封を出して職人さんに配り始めました。最後に

「お~。元請の米田組の社長にもやっとくわ~。こっちや・・。」と多少芝居かかった声で言いました。(笑)
 
 その宴席中に弟が言いました。

「地主さんが僕に『会いたい会いたい・・。』と言っておられて、わざわざ地主さんが事務所に見えたんや。40年位前に米田組が国道9号線を作るときに借りていた土地らしくて、地主さん曰く『ヨシオさん(米田組先代社長)が小便して・・・その匂いを息子が嗅いで戻って来たんや。』ということらしい。確かにお袋に聞くと昭和33年までこの地域にすんどったらしいんや・・・。」

 その後、鼻のきく・・息子と皆は、心地よい気候の夜の街にゆらゆらと流れていきました。

秋深し。

お客様, 歴史

紅葉

 過日、晩秋の○○町の奥のお客様に竣工のご挨拶に上がした。スキ-場の前にあるお宅はの廻りは秋色濃く、まもなく冬を迎えようとしておりました。

 大きな大きな古いお宅で2回目の訪問でご主人にお目にかかれました。80歳過ぎの温和な方で、終始笑みを絶やさずお話をしていただきました。

『・・・お父さん(米田組先代)を知っております。○○町の助役に10年ほど出てました。・・昭和47年ごろやったと思いますが・・福知山高校の○○分校の造成工事があり、町内の業者さんでは大きな土木機械がないために声をかけて町内業者さんの下で先代にやっていただきました。

・・みての通り築后90年になる家ですので手を入れることがちょくちょくあります。
いつもはふすまの張替えなど町内の業者さんでお世話になるのですが・・今回は大きな仕事なので米田組さんに声をかけました。

・・百姓は「配り百姓」で迷惑がられながらも・・(笑)作っては配ってます。足がちょっと悪いですが・・福知山には剣道をやってますのでたまに練習に行きます。』

帰って会社の工事経歴を見ますとくだんのお話通り当時としては大きな金額で工事を請け負っていました。後日叔父に会いましたので話をしますと「岩が堅く発破を打ちながらの作業」だったそうです。

仕事の中で先代と今の若い職員の仕事が繋がっているととても嬉しく思いました。

    門を出(いで)て 故人に逢ひぬ 秋の暮     蕪村

馬関海峡

歴史, 自然

馬関海峡 船
先週にユーミーマンションのオーナー会で門司・下関に行って参りました。作家の司馬遼太郎氏が日本で最も好きな景色に赤間神宮から見る馬関海峡(関門海峡)の眺めをあげておられます。眺められるのをとても楽しみにしておりました。

遊覧船でも海峡を一周しましたが、一日4回潮の流れが変わるらしく、大きな表示板で「E2」などと表示されており「潮の流れ東から2ノット」という意味らしいです。

頻繁に船が狭い海峡(約600m)を行き来しており、逆流の時、大きな船があえぎあえぎ進む様(さま)は自然の雄大さを感じさせてくれます。いつまで眺めても飽きのない眺めでした。

旅行の方も総勢26名で楽しく河豚を食べたり、あいにくの雨でしたが落ち着いた下関市長府の街並みを歩いたりしました。維新回天のきっかけとなった、高杉晋作挙兵の地「功山寺」や長府毛利邸を見学しました。

「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す。」と三条実美ら五卿に挨拶を行い歴史の表舞台にでていった地です。

赤間神宮に祀られている安徳帝(源平合戦で壇ノ浦で破れた平家一門・平時子と共に入水され崩御された)の故事や馬関戦争(1864年にアメリカ合衆国はじめ4か国艦隊が下関を砲撃し、長州藩を屈服させた事件)をはじめ歴史豊かな地をゆったりと歩きました。

  

How much?

お客様, 歴史

雪景色 昨日来の寒波で会社の廻りも雪景色となりました。昨日はお得意様のS社が実業団のソフトテニスで3回目の日本リーグ優勝をされ、祝賀会に行って来ました。前社長のKさん(監督)にはとても良くかわいがって頂き、工場を何回も建てさせて頂きました。

 福知山に帰ってきて(約21年前)初めてお施主さんから食事に連れて行ってもらったのもKさんでした。打ち合わせが終わって、「ちょっといこか~。」とお寿司屋さんに連れて行って頂いたことを懐かしく覚えております。値決めの時もいつも

「ところで・・丸ごとhow much?」といった感じでいつもお願いした値段を二つ返事で決めて頂きました。丁度、弟分のようにしていただきました。

 その席でお隣に座られたO様ご夫妻と一緒になりました。O様には大きなお屋敷を建てて頂いたり、お持ちのマンションの管理でとても御世話になっております。お屋敷を建てられる時も、何の前触れもなく、

「今回の家は○○ちゃん(弊社社員)とこで世話になろか・・。」とおっしゃって頂きました。

 いつもタバコを片手に悠然と穏やかにお話しをして頂けます。話の中で事業継承の話になりました。

「△△さん処は子供さんに良い教育しちゃったなあ。息子さんも立派にやっておられる・・。やはりお父さんの仕事への誇りみたいなもんがないとなあ・・・・。君とこの○○常務とつきおうとるけど見とったら、先代への誇りみたいなんが感じられるで・・・。」

 とても嬉しいお話でした。

 雪とけて 村いつぱいの こどもかな   小林一茶

蜜柑

歴史, 社内

蜜柑
 先週は早朝に移動することが多く、連日暁(あかつき)を見ながら車を運転しておりました。あまりに早く目が覚めたため会社に行ってみたり、大阪で顧問弁護士と会食をしたため翌日会社の朝礼に間に合わすために早朝移動しておりました。

 冬の寒さも本格的になり市内で-3℃の日があったり吉川のジャンクションでは-2℃で車のスリップマークと警告音が鳴り「お~ビックリ~!」といった感じでした。

 会社でテーブルの上に蜜柑が沢山積んであり夕刻食べておりました。素人が作ったような蜜柑で野趣に富んでおり、香りも良かったです。お客さんからお菓子や果物を都度々営業担当者が頂いており、どなたかから頂いたものと思っておりました。

 「誰からもろたん・・?」

 「先代の蜜柑です。」

とのことでした。そういえば会社の敷地の中に蜜柑の木が一本あります。今年は初夏に会社の敷地の中の桜の木からサクランボも採り僅かですが美味しく食べました。

 先代は社内にいろいろな木を植えるのが好きで雑木がいろいろ植えてあります。その木々も計算されてあるのか、季節季節に順番に花を咲かせます。また、工事に行った先々でもあちこちで道路の法面や神社などに桜を植えております。大分拡幅工事などで切られましたが、岩井の神社などにまだその桜が残っております。
春が来る都度その桜を眺めるのも良きものです。

街をゆき子どものそばを通るとき蜜柑の香せり冬がまた来る    木下利玄